熊野灘の東端である伊勢国と尾張国にまたがる伊勢海は、「参宮鯨」とよばれる回遊鯨が姿をあらわす海域である。

尾張国師崎の漁師の伝次は、三挺艪で漕ぎ進む小船の舳先で、まるで船に釘付けになったように揺れにも微動だにせず、銛をかまえて立っていた。

三挺の艪を折れんばかりに漕ぐ三人の男は、褌ひとつの裸体だが、銛をもつ伝次の姿は異様なものだった。

潮褪せたドンザ〈刺子には右袖がない。左袖は女着物のような長袖になっており、伝次は無言でその左袖を振って、船の進路をさししめしている。

すべての鯨は音に敏感だった。大きな喚き声や、船板の音を聞きつけた鯨は、船を遠ざけて反対方向に浮上する。

伝次が着ているドンザの左の長袖は、声をたてずに船の方向を指図する采配であった。漕ぎ手の男たちも、艪音をたてないように、ときおり手柄杓で海水をくんで、艪グイ〈船と艪の支点〉を濡らしている。

伝次が鯨の汐吹きを発見したのは半刻〈一時間〉ほど前だった。

海中にある鯨が小型の権頭鯨であるか、大型の背美鯨や抹香鯨であるかを判別することは、船の舳先に立って銛を打つ刃刺にとって、生死にかかわることだった。

もし大きな背美鯨や抹香鯨を、突き捕り可能な小型の権頭鯨と見まちがえて攻撃にかかれば、巨体の逆襲にあい命を失うこともしばしばある。

鯨の判別は汐吹きをみる勘だけが頼りだった。伝次は権頭鯨である確信をもっていた。それは伝次の生まれもった鯨に対する六感だった。

さらに鯨が浮かび出て沈んだあと、

〈つぎに鯨がどこに出浮くか 〉

その方向を的確に判断することも、刃刺の重要な任務だった。

それは尾羽の振り動き様でわかるものじゃ。

という刃刺しもいる。あるいは、

もおじを見る目じゃ。

という者もいる。これは鯨が潜水すると、その水面にかすかな漣のような渦が波にまじるが、素人目にはまるで波とかわらず、深く潜ると消えてしまう。

生得の勘をもった刃刺の伝次は、尾羽の振り様の記憶と、かすかなもおじの渦で、海中の鯨のあとを追う。

〈もうそろそろじゃ……〉

海面のもおじの渦が大きくなり、鯨の出浮きが確実になったとき、伝次は奇妙な行動をとった。
右手ににぎりしめていた銛を、船の進路をとっていた長袖の左手にもちかえると、右手を鯨にむけて三回まねいた。

この伝次の行為は、鯨に引導をわたす儀式であり、刃刺として確実に突き取る自信のあらわれでもあった。

鯨が頭を海面にもち上げた瞬間、すばやく銛を袖のない右手にもちかえた。

「成仏 」

一声さけんだ伝次の銛は、汐を吹き背中をあらわにした巨体に突き立った。

銛には十三尋の矢縄がつけられて船に結ばれている。血を流した権頭鯨のつぎの浮上は早かった。二の銛、三の銛が、海水に黒く濡れ光った背中に突き立った。

船を近づけた伝次は、急所の腋壷に大剣を突き刺してとどめをうった。

「ほう。なかなかの権頭鯨じゃ。どこの湊にいれるか伝次よ」

早艪をこぎ疲れた男たちから安堵の声がながれた。

「きまっておる。伊勢の大湊じゃ」

伝次は満足そうなまなざしを対岸にむけた。

「この突いたばかりの権頭鯨なら、二十両以上の高値がつく。久しぶりに大湊の酒と妓もわるくはねえ」

 

伊勢の大湊は、伊勢神宮をながれる五十鈴川河口にある股賑な湊で、古来より船座〈造船所〉の町として知られていた。

表通りは伊勢詣で船の発着で賑わいがたえず、船釘屋、艪屋、船材屋が軒をつらね、日の暮れとともに遊女屋の提灯に艶やかに灯がはいる。

この年慶長十一年(一六○六)は、戦乱の世も終結にむかってすすんでおり、信長、秀吉と引きつがれた天下は、家康のもとで定まろうとしていた。

紀州太地浦からきた壇伊右衛門は、海岸通りの妓楼大和屋の二階に上がり、結昆布でひとり酒を飲んでいた。

もと熊野水軍の船大将であった伊右衛門が、大湊にやってきた目的は、ある男に会うためである。

伊右衛門が手酌で杯をかさねていると、襖があいて顔に小さな傷痕がある小女が声をかけた。
「お待ちかねのお客様がみえました」

「そうか。すぐに通しておくれ。それに酒と料理じゃ」

小女に案内されて四人の男が不審そうな顔で入ってきた。
「わしになにか用じゃとか」

伝次と漕ぎ方の三人の男である。

「待っておった。わしの名は壇伊右衛門と申す。紀州太地浦の和田家より使いでまいった。まあ座られよ」

侍などに用はない。伝次は立ったまま伊右衛門を見ていたが、紀州和田家という名におぼえがあったので、三人に目配せをして座った。

「今日はみごとな権頭鯨を仕留めたようじゃの」

「あ、ああ……」

伝次は伊右衛門の意図がわからず、あいまいにうなずいた。

伊右衛門は小女がもってきた徳利と茶椀をさしだすと、

「まずは一杯やらんか」

四人とも赭銅色に日焼けし、胸や肩の厚みは人並みはずれている。酒色もつよそうである。三人のこぎ方は酒に手をだしそうになったが、伝次は茶椀を逆さにふせると、

「お前さまはたしか和田家の使いというたが、志摩飢饉を助けたあの太地浦の和田様のことか」

「そうじゃ」

伝次が小船に乗りはじめた八才のとき、伊勢志摩一帯に大飢饉がおこった。とくに田畑の少ない志摩地方は悲惨で、そのとき和田家は米麦や味噌をおくって助けたことがある。

なんの姻戚関係もない志摩一帯の漁民に、

「おなじ海で生活をするもの。人ごととは思えぬ」

そういって飢饉を助けた和田家の徳をしたって、志摩の浜島や波切から三百人ほどが、太地近村に移住した。

おなじ漁民に対する和田家の徳は、海を一つへだてた尾州師崎でも、畏敬の念をもって語られたのである。

「で、わしに何の用じゃ」

「わしと大きな背美鯨を突き捕ってみぬか」

「なに。 背美鯨じゃと」

伝次は目の前の侍を頭が可笑しいのではないかと思った。数人が小船に乗りこんで、鯨を追う突き捕り漁では、せいぜい小型の権頭鯨か鯢鯨までが限度である。もし大きな背美鯨や抹香鯨に銛を突き立てれば、船ごと海中にひきずりこまれてしまう。

伝次の視線を無視した伊右衛門は、手酌で酒をあおると、

「じつは太地が二年前に大地震にみまわれてな、津波と火事でまだ立ち直れん。それで背美鯨を仕留めようと思っておる」

信長の大阪石山本願寺攻めのとき、村上水軍とともに九鬼水軍を迎撃した伊右衛門は、鉄張り軍船に壊滅的打撃をうけて摂津堺におちのびたが、海で一旗あげる夢を捨てきれず、秀吉が京都に聚楽第の建造をはじめたとき、紀州雑賀浦の漁師百人を動員して、熊野杉を海上運搬して軍資金を得ようとした。

だが筏は思うように動かず、紀州太地沖で嵐に遇い命からがら漂着した。やむなく太地の地頭である和田頼元の客分として、毎日沖いく鯨をみながら暮らしていた。

伊右衛門は手酌で酒を飲むと、挑戦するように伝次をみた。

「のう伝次。わしと組んで太地へいかぬか。大きな背美鯨を仕留めるには、すぐれた刃刺が必要なのじゃ」

」「太地にも鯨を突く刃刺はいるじゃろうが」

「いるにはいる。だが十人かかっても、おぬしら尾張の刃刺の足もとにおよばぬ」

鯨の突き捕り漁がはじまったのは尾張であった。水軍の勃興とともに刃先に逆鉤のついた銛が出現し、尾張の漁民は矢縄をつけた銛綱で、鯨を仕留める突き捕り法を考えだした。

熊野灘から回遊してくる鯨は、小は三尋(五・四メートル)にみたない権頭鯨から、大は四十五尋をこす長須鯨までである。尾張には名を知られた刃刺があらわれた。名人といわれた尾州佐久島の間瀬助兵衛。おなじく小野浦の与平治。伝次も数少ない天才的な刃刺の一人であった。だが追うのは危険のない小型の権頭鯨が主だった。

「わしにそんな大きな鯨を突けるわけがない。一銛でも突き立てれば、海にもぐられて矢縄を切られるか、わるくすれば船を転覆させられて、水仏になっておしまいじゃ」

「いままでのように一船でやればそうなる」

「なにっ。船ではないじゃと」

伝次の目に興味がうかんだ。

「どうやって背美鯨を捕る」

「この船をみよ」

伊右衛門は一枚の絵図面をとりだした。

「背美鯨の速さは並みではない。そのために艪の数を七挺にして二人掛りでこぐ。だが熊野灘は荒海じゃ。船が速いだけではいかぬ。横波にも強く丈夫なものでなければならぬ」

絵図面の鯨船は伝次が見たことのないものだった。船首は細く、一本木の舳先が波を切りやすそうになっている。トモとよばれる船尾は、波に安定するように広くなっている。

「この鯨船をどうするのじゃ」

「水軍の戦法をつかって鯨を追う。だが肝心なのはこの鯨船を指揮して一番銛をうつ刃刺じゃ。そんな男をわしはさがしておる」

みるみる伝次の目付きが変わった。興奮をしずめるように伝次は冷えた酒を茶椀についで一息に飲みほした。それをみた伊右衛門がにやりと笑った。

[二]

潮岬で反転した黒潮が沖をあらう紀州太地浦は、春には下り鯨が北上し、秋には南下する上り鯨が、餌をもとめて姿をあらわす回遊鯨の海の道として知られていた。

慶長九年に太地をおそった地震で、村はみるかげもなく崩壊していた。海際の家は津波でおし流され泥土にうまっている。高台の村落も火事で燃えつきたままである。

先導する伊右衛門が顔をくもらした。

「どうじゃ。わしの言ったことがわかったであろう」

「これはひどい有様じゃ」

伝次は和田家の屋敷のある水の浦〈現太地港〉に歩きながら、村をはやく立ち直らせるために、太地をあげて大鯨をとりたい気持ちがよく理解できた。

それまで太地の浜には「寄り鯨」と呼ばれる、死んだ鯨がうち寄せられることがあった。

鯨という巨大な生き物は、皮下脂肪が厚いために腐りにくい。死んだばかりの寄り鯨なら肉も食べられるし、油もとれる。肉がたべられないときでも、肥料として売れば村はうるおう。

だが今まで太地では、本格的な鯨突きに挑んだものはいなかった。波が荒く、一隻や二隻で大型鯨は突き捕れない。

「どうじゃ。本気で鯨をとってみぬか」

最初にそういったのは和田頼元であった。伊右衛門から諸国のうごきを聞いていた頼元は、秀吉のあとを継ぐのは家康であろう、そうすれば世は定まり、地方の小豪族は生きづらくなる。これからは太地で鯨をとって生きていこうと考えた。

「いや。まだ世は定まらぬ」

頼元と意見を異にする伊右衛門は、水軍で領土を切りとりたい野心に燃えていた。

そのために水軍予備軍ともいえる鯨組をつくれば、勇敢な銛打ちと、屈強なこぎ方が確保できる。そしていざ船いくさになれば、すぐ水軍の形がととのえられる。

二人の思惑はちがっても、数十艘の鯨船を組織して、本格的な鯨捕りにのりだしたい気持ちは同じであった。

そのためにはすぐれた刃刺がいる。それも並みの男ではつとまらぬ。銛を突き刺すだけではなく、水軍の船大将のように四、五艘の船団の采配もできる男が必要であった。

「そんな男がいるか」

太地をおそった地震のあとで頼元がいった。

「尾張に数人心当りはあるが、会ってこの目でたしかめねばならぬ」

そうして伊右衛門は伝次に会い、三人のこぎ方と太地にやってきた。

 

和田頼元の居舘は、太地湾につきだした向島にあった。

太地の地頭として勢力をもつ和田一族は、武家の間にはげしい変転がみられた戦国期にも抗争には深入りせず、自領をよく守っていた。

文禄元年に和田の宗家を継いだ頼元は、志摩飢饉を助けた大伯父の頼国が、朝鮮の役で死ぬとその遺志をよく守り、太地領民の信頼をあつめていた。

」「ねらう鯨はなんじゃ。伊右衛門様は背美鯨だといったが本当か」

和田家の屋敷で対面した伝次が座るなりいった。

「本当は小山のような長須鯨といいたいところじゃが、沈まぬように浜にもってくるには四、五百人の人がいる。とうてい無理な話じゃ」

「なるほど」

伝次は背美鯨と抹香鯨は、死んでも海中に沈まぬことを知っていた。

頼元は話しながら伝次の顔をみていた。二十八才の伝次の目の玉は、潮に焦げて血走っている。唇も潮風にひびわれ、執念ぶかそうに結ばれている。

腕に自信をもった漁師の欠点は、己を信ずるところが多すぎて、他を軽んずる癖をもつ者が多いことだ。だが日焼けした顔からこぼれる伝次の歯は白く、ふとい眉は頑固というより、むしろ意志の強さのあらわれである。顔ぜんたいに愛嬌があり、心の柔軟な男だろうとみてとった。頼元はつづける。

「わしは五隻ほどでからめとれる背美鯨か抹香鯨と考えておる。これなら死んでも沈まぬから、あとの始末も何とかなる。だが背美鯨は十本や二十本の銛では死なぬ。海に潜れば二、三隻の船で引きとめられるものではない」

伝次がうなずいた。

「船戦でも、大きな安宅船に攻めかかるとき、小さな小早船が十隻あれば仕留めることはできる。それは大きな背美鯨でもおなじことじゃ。この仕事はすぐれた刃刺一人ではできぬから、水軍とおなじように五隻を一組にして大きな鯨にあたる」

頼元の言葉には太地をすくいたい熱情があふれている。

「それをわしは刺手組と名づける。その刺手組を三組つくり、小さい鯨には刺手組五隻が一組でかかる。大きなものには二組あるいは三組でかかり、銛を四、五十本打ちこめば突き捕れる」
「ということは刃刺が、十五人もいることになるが」

「この太地にもつたないが刃刺はおる。ただしおぬしほどの腕はないから、まず銛打ちから教えてもらわねばならぬ」

 

翌朝浜にいくと、伝次は若い漁師の一団によびとめられた。

「おい。そこの尾張者」

「わしのことか」

ふりむいた伝次の足もとに銛が突き立てられた。

「そうじゃ。おまえら他国者にこの太地で大きい顔をされたくねえ。さっさと尾張に帰ったほうが身のためじゃ」

体の大きい若者が伝次をにらみつけた。どうやら太地浦の刃刺の一人らしい。

「わしは頼元様によばれてきた。おまえらに指図をうける覚えはねえ」

「頼元様はおまえを呼んだかもしれぬが、わしらは許しておらん。つべこべいうと腕の一本もなくなるぞ」

「おまえも刃刺か」

「そうじゃ」

「ならばわしなど相手にせず、鯨を相手にしたらどうじゃ」

「なにっ」

そのとき砂浜を若い娘がかけてきた。

「兄やん。和田様が決めたことにさかろうてはいかん。この人は太地浦のためにきてくれたのに、そんな銛で脅したりして」

「女子供が口をだすことじゃねえ」

「いいえ。村がうるおうには、はやく大鯨をとることだと頼元様は言っています」

色黒だが目鼻立ちの整った美しい顔で、兄を睨みつけた妹は、伝次を守るように立ちはだかった。

「ちっ。波乃はだれに似て、あんなに気がつよいのじゃ」

まわりをとりかこむ若者が鼻白んで帰ろうとした。

「よし。伝次とやら。おまえも女にかばいだてされたとしたら寝つきがわるかろう。鯨がきたら刃刺の勝負をしてやるから、銛は鯨を刺すだけじゃねえことを覚えておくんだな」

旅漁で他国にいくと、かならず自分の縄張りを荒らされまいとする男がいる。

波乃の話では、惣十郎は若衆頭としての面子もあり、乱暴なところもある男だが、根はからりとした若者だといった。

「わしもむやみに争う気はねえ。和田様から鯨船ができるまでに、太地の漁師から刃刺をえらんで、銛打ちを教えてくれぬかと頼まれておる。だから惣十郎さんとやらにも、そう伝えてくれねえかい」

「いま太地にとっては、はやく鯨をとって村がうるおうことです。兄のことなど考えず、伝次さんの腕で大きな鯨を仕留めてください」

「どうして尾張者のわしに、そう気をつかう」

「わたしの母は志摩飢饉のとき、和田様の徳をしたって志摩波切から、この太地にうつってきたのです。海に生きるものは、飢えたときはたがいに助けあうものと、母に教えられました。海に国境はありません」

「お前さまの母者の名は、もしや志摩様といわぬか」

「どうして母の名を……」

波乃はふしぎそうに伝次をみた。

「やはりそうだったか。志摩飢饉のおり、波切から太地にわたった船頭藤屋の娘、志摩様の美しさは尾張にもきこえておった。それでお前さまをみてそうではないかと」

志摩の美しさは新宮にまできこえた。新宮の領主が息子の嫁にといったが、武家をきらった志摩は太地の網方の嫁になり二人の子をなした。

「まあ……」

ぽっと頬をあかくそめた波乃は、砂浜をあともふり返らずに駆けだしていった。

 

翌朝伝次が浜にでると、太地湾に入りこんだ鯨の汐吹きが見えた。

「さすがは太地の海は鯨の道じゃ。これだけ鯨がいればすぐ村はうるおう」

伝次は沖に目をこらした。湾口を泳ぐ鯨の汐吹きから、大型の鯢鯨と判断した。

敵意を顔にみなぎらせた惣十郎が浜にいた。

「おい伝次とやら。手ごろな鯨じゃ。すぐに船をだせ」

「いや。汐吹きからみると、鯢鯨でも五尋をこす大物じゃ。一隻ではとても仕留められまい。やめたほうが身のためじゃ」

「臆したのか。この憶病者めが」

「それほど言うならやむをえん」

伝次の船と、惣十郎が指揮をとる二隻が、早艪で漕ぎだした。

惣十郎の漕ぎ方は鯨をみて興奮している。息は荒く、艪音が軌めいている。

惣十郎は鯨を追うことに我をわすれているが、刃刺としての腕もこぎ方も、伝次がみるかぎり尾張の漁師の子供にもおよばないのは明白だった。

〈ここは引き返したほうがいいかも知れぬ……〉

伝次は惣十郎の船を見ながら思った。音に敏い鯨が、海上の艪音を察知して逃げだせば、いきなり方向を変えて浮上する。

伝次はまさかにそなえて、樫の柄を太くして、重さを五十匁ふやした特別製の大銛をつみこんでいた。だがこんな大きな鯢鯨を追うのは初めてである。
左の五十尋さきの海面がもり上がり、汐吹きとともに濡れた背中が浮上した。

「でた 」

海面を割って丸い頭があらわれた。その瞬間、惣十郎は怯えたように銛を放った。
だが銛は突き立たず、濡れ光る背中ではね返されて海に落ちた。

「ちっ!」

その直後だった。鯢鯨が逆襲に転じ、小船めがけて海中から背中で突き上げた。
あっという間に小船は沈没し、惣十郎と漕ぎ方は海になげだされた。

伝次は惣十郎の船にかまわず鯢鯨を追った。海面のもおじの渦をとらえ、つぎの浮上位置を勘でとらえる。こぎ方の息はあっている。

二十尋さきで汐吹きがあがり、黒い背があらわれた。かなり大きい鯢鯨だ。伝次は五十匁重く仕上げた大銛をにぎりしめた。

〈この大銛なら鯢鯨の背中も刺し通せる〉

全速力でこぐ船から、伝次は大銛を空中に放った。空たかく突き上がった銛は、鯢鯨の上で方向を変えると、垂直に鯨の背に突き立った。

〈やったぞ〉

その瞬間、鯢鯨は体をねじるように反転した。

「あっ 」

銛の柄が真っ二つに折れた。

〈どうしたことじゃ〉

伝次にはその光景が信じられなかった。刃の逆鉤も、太くした銛の柄も、鯨の力に負けぬよう硬く焼き入れがしてあった。それが真っ二つに折れたのである。

〈かなり大きい。引き返すべきか……〉

伝次の刃刺の本能は、これ以上鯨を深追いするのは危険だとつげた。

そのとき他国者の自分をかばった波乃の美しい顔がよぎった。

〈いいや。なんとしても鯨を突き捕ってやる〉

伝次は使いなれたいつもの銛を手にもった。軽い銛では死を覚悟して、五尋の近さまで近づかねば、鯢鯨の厚い皮を突き通せない。

伝次は左袖をふって勇敢に接近した。小さな権頭鯨ならいざしらず、鯢鯨の尾羽で叩かれれば、体の骨がくだけ散る。伝次の覚悟がつたわったこぎ方も、懸命に艪をこいで鯢鯨に接近していく。

つぎの浮上で、汐吹きがふりかかる近さに接近した伝次は、体ごと銛をはなった。

一の銛が命中した。二の銛、三の銛も突き立って、鯢鯨の汐吹きに血がまじった。

〈鯢鯨の逆襲をさけるには、早く仕留めるしかない〉

死の恐怖をふりはらった伝次は、鯢鯨の背に飛びうつった。

研ぎすまされた大剣を握りしめて腋壷を突き通した。鯢鯨は百頭の馬が嘶くような、天地を鳴動させる叫びに似た吐息を、鼻口から血とともに吹きだした。

死力をふりしぼった鯢鯨は、伝次をふりほどこうと潜水した。

「あっ伝次」

漕ぎ方の声が耳から消えた。

碧い海水が伝次の眼前にひろがり、鯢鯨に突き立った大剣をにぎりしめたまま、伝次は海中で気をうしなった。

[三]

太地の浜に鯢鯨が引き上げられた。抹香鯨や背美鯨にくらべれば小さいが、それでも六尋の大物であった。

海辺は人々でうまった。砂浜にかがり火が燃やされ、半裸の男たちが、白い皮下脂肪を切りさき、赤い肉のかたまりを切りとる。

「さすがは尾張一の刃刺じゃ。ようやった」

伊右衛門のうれしそうな顔が浜辺にみえる。

「この鯢鯨一頭で、わしらの腹は十日はみたされる。鯨船がくればいよいよ本格的な突き捕りができる」

頼元も目をほそめて鯨の解体作業をながめる。

多量の脂は、灯明として太地の夜を明るく照らしだす。筋は切らぬように取りだせば、弓の弦として高価な値がつく。最後にのこった脊髄も、鋸で引き切って大釜で煮ると、大量の油がにじみでてくる。捨てるところのない鯨に、太地の人々の顔は明るい。

伝次は浜のにぎわいに目をやった。海中の伝次は、矢縄をつたって潜水したこぎ方にあやうく助けられ、鯢鯨は大剣を脇壷に刺されて出血し、しだいに弱って浮上した。

「伝次さんは命をかけて、太地のわたしたちのために鯨をとってくれました」

波乃が熱気に目をほそめて近づいてきた。女たちは肉塊を棒で吊して浜にはこびあげ、赤い血にそまった波打ちぎわで、子供たちがむれあそぶ。

「いいや。太地のためなどとはとんでもねえ。わしの刃刺の意地だけじゃ」

伝次はいままで旅漁のさきざきで鯨を突き捕り、それを売って銭にかえた。その銭で妓を抱き、酒を飲んで日をすごした。
だが太地の人々はちがう。和田頼元の采配のもとで、海とともに生きていこうと必死である。これから沖をいく大型の抹香鯨や背美鯨が突き捕れれば、太地浦は海の恵みでうるおう。

太地の浜でくりひろげられる光景は、伝次の心にいままでにない温かい思いをもたらしてきた。

「すまねえ伝次さん。つまらぬ意地をはったりして」

惣十郎だった。
「かまわねえ。これからこの鯢鯨の十倍もある、大きな背美鯨を仕留めねばならん。そのためにはおれ一人では突き捕れねえ。太地の衆から刃刺を育てねえとな」

「おれにもできるか」

「鯨をとろうという一心があれば、あとは稽古しだいじゃ」

伝次の濡れみだれた髷を潮風が吹きなでた。

〈太地はながくなるかもしれぬ……〉

伝次は腰をおちつけて鯨を追う気になっていた。それは尾張にもきこえた美しい志摩の娘波乃に会ったせいかもしれなかった。

 

翌朝から銛打ちの稽古を開始した。

刺手組の指揮をとる一番船の刃刺は、汐吹きで鯨の種類を見わけ、もおじで海中の鯨を追わねばならぬが、二番船、三番船の刃刺は、正確に銛が打てればいい。

伝次は勘のよさそうな若衆をえらんで銛を打たせた。

だが揺れる船上から、海に浮かんだ丸太木に、銛は容易なことでは突き立たない。

「よいか。銛を投げる向きが肝心なのじゃ」

若衆たちは太地浦を立ち直らせようと必死である。惣十郎が先頭にたって全員が日ごとに銛打ちの腕をあげてくる。

だが伝次にとって気がかりは、焼き入れをした大銛が、鯨の反転でもろく二つに折れたことだった。

背美鯨の厚い脂肪を突き通すには、銛に重さが必要である。大銛は刀鍛冶に特別に頼んで太く仕上げ、硬く焼き入れをしてもらった業ものである。それがいとも簡単に折れたのである。

「大銛の工夫をせねば大鯨には立ち向かえませぬ。どうしたらよいかわからぬ」

「ううむ……」

伊右衛門も腕をこまねくばかりである。

二人は熊野の刀鍛冶をたずねて相談した。

「よい知恵があります」

かつて船いくさの研師として、修羅場をふんだ刀鍛冶がいった。

「いくさでは乱戦になると、銘ある大刀より、足軽の鈍刀のほうが、役に立つことがあります」

「それはどういうことじゃ」

「銘刀は切れるかわりに、鎧で刃こぼれして折れることもありますが、鈍刀は曲がりはしますが、めったに折れませぬ。銛の柄を鈍に焼きもどしてみたらどうでしょう」

あっと伝次は思った。柄に焼き入れしなければ、鈍刀のように曲がりやすくなる。

それなら鯨に突き立った銛の柄が、樫の柄の重みで横に曲がり、むしろかぎ形になって抜けにくくなるかも知れぬ。すぐ銛の柄の焼きもどしをしてもらった。

太地にもどると、海に浮かべた丸太木を標的に試し突きをした。結果は上出来だった。銛の刃先が突き立ったまま、鉄の柄は飴のように曲がったのである。

「これから大銛を投げる稽古じゃ。重くないと背美鯨の厚い皮を突き破れん」

だが大きくした銛には問題がある。樫の柄も太くするために重さが増し、いままでの投げ方では十尋も飛ばない。

「そのためには空にむけて投げとばすのじゃ」

標的にまっすぐ銛を打つよりも、いちど高く空に突き上げて、その重みで真下に落としこんだ方が、銛と樫の重さで突き刺す力がます。

朝から大銛の訓練にはげんだ。惣十郎の進歩がいちばん早かった。十投のうち七、八投は丸太木を外さなくなった。

毎日の銛打ちの稽古で、若衆たちの肩と胸がたくましくなってきた。


湾内に小型の抹香鯨が姿をみせた。試し投げのいい機会である。

「小ぶりの抹香鯨じゃ」

伝次は太い汐吹きに目をほそめた。危険はわかっていたが、太い汐吹きを見たとたん、体中の血が熱くさわいだ。

「二隻でかかればどうにかなる。惣十郎は二番船の刃刺として用意にかかれ」

伝次は船をだすまえに惣十郎にいいきかせた。相手は小さいとはいえ抹香鯨である。もし鯨に潜られたら、船一隻では浮力が足らず、船ごと海に引きずりこまれる。伝次の銛と同時に惣十郎も銛をうて、と   。

若衆たちが一挺の艪に二人がかりで、全力漕法で鯨を追った。湾内のために波は小さく、
鯨を追うにはもおじを見つけやすい。

黒潮の青黒い海中にもおじがひろがり、抹香鯨が四十尋さきに出浮いた。

だが艪音が大きい。海上の音を警戒して、抹香鯨はふたたび潜った。もおじの渦がほとんど消えかかっている。

いきなり左に汐吹きが上がった。伝次の船が左に急旋回した。惣十郎の船もあとにつづくが、舵取りがうまくいかず、大きく遅れた。

ふたたび抹香鯨が浮上した。伝次は右手に全神経を集中して、大銛をここぞと投げとばした。円弧をかくように矢縄を曳いた銛は、正確に抹香鯨の背中にむかって飛んだ。

空中で反転した大銛は、重さで加速して鯨の背に突き立ち、伝次は矢縄を引いた。

〈よし。いいぞ〉

背中に深く突き立った大銛は、柄の部分で思いどおり曲がった。

だが遅れている惣十郎の船から放った銛は、鯨の背までとどかず海中に落ちた。

背に一本の銛を突き立てた鯨は、死にもの狂いで潜水した。

伝次は矢縄の船との結びを確認した。ものすごい早さで矢縄が海中に沈み、衝撃音とともに、船は矢のように曳かれて前進した。

伝次は戦慄した。小さな権頭鯨の引きとは桁外れに強い。こぎ方も艪をにぎりしめたままなすすべもない。

舳先がぐっと沈みはじめた。船のトモが海面から浮き上がり、不安定に揺れた。

トモ艪で舵がとりきれないこぎ方が大声でさけんだ。

「切れ。 すぐ矢縄を切るんじゃ 」

伝次は逆反りの船刀を矢縄にふりかざした。バシッとはじけるように矢縄が切れた。

伝次は反動でぶざまに甲板にころがって、抹香鯨に敗北したことを知った……。


伝次は初めて挑んだ抹香鯨のおそろしい光景を夢にみた。

……いままでの権頭鯨や鯢鯨とは力が並みはずれにちがう。銛を背にうけた抹香鯨は、千尋のまっ暗な海底に潜水する。

海にひきこまれた伝次は鯨の腋壷をねらった。肋骨肺の一部であるその急所は、鯨が弱ったときしかねらえない。大剣を力まかせに突き刺した。だが厚い皮は突き通せない。

海水に肺腑をおかされた伝次は、海底でもがきながら夢からさめた。

全身にびっしょりと脂汗をかいた伝次は心底思った。

〈大鯨を仕留めるには、太地の男が力を一つにあわせねば突き捕れぬ。そのためにはわしが太地に骨をうめる覚悟が必要かもしれぬ……〉


[四]


大湊から鯨船がきた。船がくるともうひとつ大きな仕事がのこっていた。

伊右衛門は体の大きな若者をえらびだし、艪こぎの訓練を開始した。

「まず漕ぎ方で肝心なことは、いつまでこいでも息の上がらぬことじゃ」

どんなによい刃刺が乗り組んでいても、鯨の泳ぐ速さに追いつけない鯨船ではどうしょうもない。

伊右衛門は水軍の経験をもとに話しだす。

「艪の漕ぎ方には、手前に引く引き艪と、前に押す押し艪があることは知ってのとおりじゃが、両方に力を入れては半刻も息がもたん」

「どうしたらよいのでしょう」

「引き艪には体ごと全力をこめて、出し艪は力をぬいて押すだけでよい」

伊右衛門が考えた鯨船は、速力を得るために細身であった。

左右に四挺入れた二人がかりの長艪を、引き艪と押し艪に全力をこめてこげば、疲れるだけでなく、左右に揺れが生じて転覆するおそれがある。

しかも船に波や急回転で揺れが生じた場合、ミキ(艪の先端)が波をきる圧力の強弱を調整して、船の安定をはかる役目もある。

体力だけではなく、漕ぎ方八人の息のあい方が、必要な海の協同作業であった。

だが生まれたときから海にでていた男たちである。たちまち艪調子をそろえて五隻で漕ぎすすめるようになった。

伊右衛門が艪漕ぎの稽古をはじめると、伝次は惣十郎をつれて鯨をさがす見張番所をつくるために、見晴らしのきく山見鼻にのぼった。

高い鷲ノ巣崎からも海を眺めたが、熊野灘に展望のきく梶取崎を「山見所」と決めて番小屋をつくった。

すべての準備がととのえば、山見所に見張り番をおき、鯨の回遊を見つけて、法螺貝で合図をして鯨を追うのである。

早暁の静けさをやぶって法螺貝が鳴りひびいた。

はね起きた伝次は、波乃のつくった稗粥をかきこむと家をとびだした。

「背美鯨の法螺貝じゃ。かならず仕留めてくる」

太地で鯨を突き捕る覚悟をかためた伝次は、すでに頼元の許しをえて波乃と二人で暮らしていた。だが祝言は背美鯨を仕留めてからと決めている。

駆けながら梶取崎の頂きを見上げると、五間の竿柱に背美鯨を知らせる旗がなびいている。

浜にくると殺気に似た空気がながれていた。

明々とかがり火が燃え上がり、若衆たちが銛や矢縄をもって走りまわっている。

波うちぎわに十五隻の鯨船が舳先をならべて出陣をまっていた。

「きょうは三組で総がかりじゃ」

伝次は、刺手組三組で総がかりをすることをつげて、一番船に乗りこんだ。

この日のために熊野灘で艪こぎの稽古をつづけてきた。

浜から刺手組一番組、二番組、三番組の順で鯨船がこぎだしていく。

海上に鯨船が総ぞろいすると、

よおう。よおい。

と一番船の漕ぎ方から、進発の音頭が上がった。

あとにつづく鯨船から、

え―いよう。よ―おう。

と艪調子にあわせる連呼が上がり、東天の白んだ熊野灘に漕ぎだした。

浜から女子供や老人が、刺手組のみごとな艪漕ぎを見送っている。

波うちぎわに座りこんだ老婆が涙をこぼしながら、

南無阿弥陀仏。

と生まれかわった太地の鯨船に両手をあわせて拝んでいる。

雲のきれ目から朝陽がのぞいた。青黒い海面が朝の光にどよめいた。

船団は伝次の乗る一番組を中央にして、二番組と三番組が左右に秩序をもって散会し、艪漕ぎの調子は波に乱れず、伝次の采配どおりに船団はすすんでいく。

伝次はときおり梶取崎をふり返り、頂上の五間の竿柱にひるがえった旗をみて、背美鯨の方向を頭に入れる。

「このごろは伊右衛門殿も、船いくさより鯨捕りがおもしろうなったようじゃの」

波乃を妻にもらいたいと伝えた日、頼元は目をほそめてそういったのを思いだす。

「それにくわえておぬしが太地に骨をうずめる気になってくれたことは、先代頼国様の徳のせいかもしれぬ。いずれにしろ太地にとっては祝着しごくなことじゃ」

自分のことはさておき、たしかに伊右衛門がいなかったら、この刺手組はできなかったであろう。伝次はみごとな二番組、三番組の艪こぎをみてそう思う。伊右衛門がいなければ波乃ともめぐりあわず、その日暮らしの旅漁をつづけていた。

え―い。え―い。

よお―。よお―。

鯨めざして早艪で追うまえの、落ちついた艪調子で船団はなめらかにすすむ。

漕ぎすすむ海も、背後の山も、明朗な色彩をおびてきた。

そのとき沖の波の白穂をやぶって汐吹きがみえた。

「出たぞ」

伝次の左袖がさっと振られて、艪調子が変わった。

長艪の漕ぎ方が二人がかりになり、

えい、おう。えい、おう。

と艪を引くときは、頭が甲板につくほどのけぞる早艪で、汐吹きにむけてこぎだした。

一番船が、沖の獲物めがけて右に方向を変えた。めざす背美鯨一頭に、太地浦二、三ケ月の暮らしがかかっている。

伝次は采配をとる一番刃刺の責任をつよく感じた。浜辺で念仏の老婆の孫も船団にいるはずだ。背美鯨を捕らえることと同時に、全員の命を鯨から守らねばならない。

刺手組ははやい速度で獲物を追いつめていく。

追われる背美鯨は、何も知らぬげに波をわって出浮き、出浮いては太い汐吹きを吹き上げて沈み、しだいにその距離がせばまっていく。

距離が四十尋にせばまったとき、危険を察知したのか、背美鯨は先が二つに割れる太い汐吹きを吹き上げた。

〈すごい汐吹きじゃ〉

伝次は思わず胴震いを感じた。

ながい刃刺の経験から、先が二つに太くわかれる汐吹きは、とてつもない大きな背美鯨であることを教えている。

〈かるく十尋をこすかも知れぬ〉

その瞬間、伝次の頭からは、すべてのことが消えさった。

波乃や太地の人々のことにかわって、目のまえの背美鯨を、体を張って突き捕ることだけが脳裏をしめた。

伝次は尾羽の振り様を目にやきつけて、つぎに出浮く方向に船をすすめた。

伝次は目を海面にむけている。海面は朝陽の照り返しをうかべて波立っている。

〈早くもおじを見つけねばならぬ〉

大きな背美鯨は、ときには二百尋、三百尋と海中ふかく潜水することがある。
そうするともおじの渦は見わけにくくなり、見逃すこともありえる。

伝次の顔が緊張に青ざめている。伝次を嘲笑うように、いきなり海面が盛り上がり、波間に黒い頭があらわれた。

太い汐吹きが一本上がり、大きな背をみせてから、二本目の汐吹きが上がった。

伝次は本能的に左袖を振った。鳥が羽根で羽ばたくような自然なうごきであった。

つぎの出浮きに、一番銛を打つことを決めた伝次は、にぎりしめていた大銛を、伝次は左手にもちかえて左右をみた。

二番銛を打つ惣十郎、三番銛を打つ十蔵が、いつでもござんなれと、船の舳先で身がまえている。

背美鯨が方向を急変し、三番組の眼前に浮上した。

「右にトモ艪でさけよ」

だが全速力の鯨船はさけきれず、大銀杏葉のような尾羽でうちすえられた。

あっという間に三隻が転覆し、背美鯨はふたたび海中に潜った。
沈没した僚船三隻の男たちを助けねばならない三番組は、ここに壊滅した。

伝次は惣十郎の乗る二番組をさしまねいて横に並ばせた。

〈はたして二組で突き捕れるか〉

いま伝次に確信はなかった。だが男たちは憑かれたように背美鯨を追う。

前方にもおじがあらわれ、白い渦が大きくなった。

〈出浮くぞ〉   
うなずいた伝次が三回まねいた。予期した海面が白く割れて、背美鯨の頭が海面にでた。

「成仏」

舳先に立った伝次は、右手の人差指と中指でひねりをくわえて大銛を天に放った。

大空に飛んだ大銛はくるりと向きを変え、波を割ってあらわれた大きな背にむかって、垂直に突き立った。

太い汐吹きが上がった。すかさず二の銛、三の銛が突き立った。

太い三本の樫の柄を曲げた背美鯨は、尾羽を荒々しく振り立てて海中に潜った。

三本の大銛の矢縄は、船に結ばれておらず、鉋屑でつくった「葛」という浮きがついている。海中に浮く葛が抵抗物となり鯨を弱らせ、深く突き立った大銛が血を奪うはずだ。

焼きもどしした大銛が完成したあとに、伝次は鯨を衰えさせる方法を考えつづけた。

鯨が汐吹きに出浮くあいだに、打ちこめる銛の数には限りがあるからだ。

〈これで鯨が海中に沈んでいるあいだに、出浮く勢いは弱くなる〉

そして考えたのが、最初の銛の矢縄は船に結ばず、葛で弱らせる方法であった。

つぎの出浮きが早まった。

伝次の大銛につづいて、二番組からも銛が打たれて、汐吹きが血の色に変わった。

矢縄は船に結ばれている。五隻の鯨船を曳いた背美鯨は、急速に弱りはじめる。

衰えた背美鯨は、海面を血に染めて、馬の嘶きに似た吐息を吐いた。

「太地のためじゃ。成仏してくれ」

伝次は鯨の巨体に一番船を横づけすると、大剣を腋壷に突き刺した。

「成仏じゃ」

血にまみれた顔をあげた伝次は、血の臭いにむせて熊野灘にむかって数回吐いた。

〈これで波乃と祝言があげられる〉

伝次に背美鯨を仕留めた満足感がひろがった。

太地に骨をうめてもらうとき、波乃とともに、この背美鯨の骨もうめてもらおうと伝次は思った。

[完]

実業之日本社 「週刊小説」平成6年11月25日号掲載

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