追悼文

鈴渓資料館へ行ってきました。

虫の知らせ?残暑御見舞いを頂くちょっと前、お盆あけの17日、リュックサックに「情熱の気風」を携えて、鈴渓資料館へ行ってきました。二宮さんもここで取材されたかとしばし感慨にふけりました。近くの白山神社に立つ、盛田命祺翁の銅立像は戦時調達で鉄砲の弾になってしまったとのこと、常滑焼の胸像になっていました。

遠浅でクルーザーでは近づけず、2マイル沖から眺めて通る小鈴ヶ谷の浜をぶらぶらと・・・。海面は全力で名残の輝きを見せてくれているようで、いつも真夏のようだった二宮さんを偲んだ一日でした。

 

大野城主 佐治与九郎一成(よくろうかずなり)

与九郎はお市の三女おごうを妻に迎えた祝言の夜、新妻を船にいざないます。

「この船にはいろいろ仕掛けがあってな。みんな俺が考え出したのさ。これまでの船より、ずっと足が速いわりに、ちっとは揺れる。(略)いわばこれは俺のもう一つの城だ」

「もっとも足が速いだけでは、大波を乗り切ることは出来ぬからな。勝負はこれからよ」

南蛮人の船に匹敵するものを頭に描き、世界に雄飛する夢。

俊足大野水軍の長として、秀吉の征韓軍で重用されても、秀吉を見限り。

おごうを秀吉に召し上げられるとき、

「俺は百万石の大名にも、天下人にもなりたいと思わないのだ」

「餌をまけば魚はそれに食いつく。が、俺は魚ではないのでな、飛びつかぬときもある、というわけよ」

・・俺はそれでよいが、おごうを不幸にさせたくない。

と伝えて伊勢の津へ下って行く。

―この世の出世を見限るというといかにも逃げ腰の弱い人間を想像してしまうが、むしろそうではない。弱い人間こそ、この世を見捨てたり、この世から見捨てられたりすることができないのだ。―と書いている永井路子さんの「乱紋」を読みつつ、二宮さんに佐治与九郎を書いて欲しかったと思ったこの夏です。

竹内 聡一様

 

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