『風と武平次(ぶへいじ)』

(一)
「五島の冬シビ(マグロ)をはこんでやる」

それが紀州漁師の武平次がとりつかれた途方もない夢だった。

武平次の生まれた紀州矢口村(現三重県海山町)は、ゆたかな黒潮がながれる熊野九十九浦のひとつである。物心ついたころから海にでていた武平次は、三十一歳のとき徳川幕法にすさまじい憎しみをいだいた。

それは北前船の「遭難」が原因だった。

文政三年(一八二○)十月。下関めざして航海する武平次の北前船を、予想もしないつよい東風がおそった。その朝、船頭は北西の追い風だと日和見していたが、急にふきだした向かい風に下関にマギルことができず、船は肥前を左にみて流されはじめた。船はようしゃなく傾き、船舷をのりこえた波涛が船内にながれこむ。

「スッポンで排水じゃ」

武平次は船底の排水器で海水をくみだした。だがスッポンの排水量より、甲板から流れこむ海水のほうがはるかに多く、船はみるみる沈没の危険にさらされた。

・・・・・・武平次が北前船にのりこんだのは、紀州の漁場あらそいからだった。熊野九十九浦は四月には黒潮にのってカツオがおしよせ、秋にはイワシをおってマグロの群れが群来する。だがかならず不漁の年がおとずれる。その年はまったく魚が寄りつかず、武平次の矢口村は須賀利村と血みどろの漁場あらそいになった。

「ここは藩庁から安堵されたわしらの漁場じゃ。盗人どもはとっとと失せよ」

舳先にたった須賀利村の若衆頭が大櫂をふり上げた。

「なにを馬鹿ぬかす。おまえらこそよう目をあけて山立てすることじゃ」

二点の目標物を交錯させて位置をしる「山立て法」では、漁場の線引きがくいちがって当然だった。だが漁場の領域などはどうでもよい。男たちは生きのびるために大櫂をふりおろして漁場を死守する。

武平次も船団の先頭にたって喧嘩にくわわった。だが誰がわるいでもない漁場あらそいで相手を半殺しにしてしまった武平次は、虚しさにおそわれて村をでて北前船に乗りこんだ。そして三年後に野分(台風)にあって遭難したのである。

船頭の悲痛なさけび声が甲板にながれた。

「帆柱を切りたおすぞう」

江戸期に海の遭難があいついだ原因は、徳川幕府の無謀な「船体」への制限による。家康はまず人々を島国にとじこめるために船の大きさを〈五百石積以下〉と制限し、つづいて家光が海外渡航を禁じて〈帆柱を一本〉と決めつけた。

とくに馬鹿げたものは、

甲板の水密構造をゆるさない、というものだった。

これは大海にタライを浮かべたようなもので、波浪をかぶればすぐ水船になる。

死に直面した武平次は、船底で波涛をかぶりながら、

〈よくも権現(家康)めが、ばかなことを決めおって〉

と徳川幕府の身勝手に怒りで体をふるわせた。もし唐船や南蛮船のように水密な甲板をもち、帆柱も三本にすれば嵐で波涛をうけてもびくともしないのに。

だが武平次たちは幸運だった。東の風がさいわいして、蝦夷やプロシヤまで漂流する対馬海流につかまらず、五日後には五島の島かげを見ることができたのである・・・・・・。


武平次が漂着した五島列島はひどく貧しかった。

漁法は考えられぬほど稚拙で、海のゆたかさにくらべて漁獲量はおどろくほど少ない。漁があればそれを喰いつぶし、不漁になれば喰うや喰わず生活であった。

だが冬の五島列島には「宝」があった。それは寒さとともに群来する冬マグロである。北前船で商品相場というものを知っていた武平次は、冬ガレの上方の魚市場に塩をしない生魚の「無塩もの」をはこべば、高値がつくことを知っていた。

冬の海をうめつくすマグロの群れをみて、

〈五島の冬シビをとって、上方まではこんでやるか・・・・・・〉

武平次のなかに途方もない考えがもたげてきた。

そんなとき武平次は紀州船大工の宗次と知りあった。クジラ船づくりで五島にわたってきた宗次は、五島の浜で朽ちはてたままの北前船をみて、

「ちっ、だからいわんことじゃねえ」

と吐きだすようにいった。

「わしはいままで船役人になんども船の改良を申し出た。だがすべては権現のときのままじゃという。わしのいうとおりに改造しておれば、なん人の船乗りの命が助かっていたかもしれぬというのに」

宗次も家康のことを権現とよびすてにした。たちまち二人は意気投合した。

人々を土地にしばりつけた徳川期にあって、海になりわいをもとめた紀州の人々は、海岸伝いにどこにでも乗りだしていった。自由に海を行きかい、気にいった土地で女と子供をつくって死んでいく。その自由な紀州人の行動の裏側には、つねに徳川幕法へのつよい怒りがこめられていたのである。

「わしは夷人船をみてから、船大工になろうと決めた」

宗次がカシキ(めし炊き)として樽廻船にのりこんだ十四歳のときに、見たこともない三本帆柱の洋風船が、傾きながら近づいてきたときの話をはじめた。

船頭や水夫はあとのかかわりをおそれて船底にかくれたが、若い宗次は飛びうつらんばかりに身をのりだして観察した。

「それはばけものように大きな夷人船じゃった」

ペリーの黒船があらわれる数十年前から、アメリカの捕鯨船は日本近海にあらわれていた。津軽海峡を通過した外国船の数は、文化元年(一八○三)から五十年のあいだに、三百艘にのぼったという記録がある。

「そのときじゃ。わしが夷人船のように頑丈な船をつくろうと決心したのは」

「ならば冬に五島から、大坂まで走れる船はつくれるか」

「むろんじゃ。だがなににつかう」

「紀州からシビ網をもってきて冬シビをとる。それを上方へはこぶんじゃ」

「上方か・・・・・・」

宗次の顔に不敵な色がうかんだ。

「だがそれは御法渡やぶりの船になるぞ」

「かまわん。冬の玄界灘がのりきれればそれでよい」

こうして武平次に《五島から冬シビをはこんでやる》という具体的な夢がかたまった。


(二)

「一匹かけたぞ」

青黒く盛り上がった海面から、手鉤をうちこまれたマグロが、巨体を跳躍させて甲板に引き揚げられた。それは十貫(三七・五キロ)をこすみごとなクロマグロだった。

「すぐカケヤで頭を叩きわれ」

甲板ではねまわるマグロの頭めがけて、男たちが叩き棒のカケヤを三発、四発とふりおろす。たちまち甲板に鮮血がしたたりおちる。

船団の指揮をとる武平次は、すぐれた船乗りの特質であるかがんだ猫足で重心をさげて、

ゆれる船上でたくみに指揮をとっている。

海面にはマグロの群れが、紡鍾形の背を海面にもりあがらせ、つよい尾鰭を死にものぐるいにはね上げ、包囲網から逃げだそうと必死である。

二十五年前までは、武平次のすむ紀州にもマグロ網はなかった。それまで諸国浦々ではマグロの大群が入江にはいりこむと、貴重な「干鰯」になるイワシの網を破られないように、マグロを「ウダ棒」という樫の棒で船舷を叩いて群れを追いはらった。

だが文化年間(一八○三~)になると「紀州の漁師は大きなクジラでも仕留めるのに、

みすみすマグロをみすごすようでは男がすたる 」そういってマグロ網の開発にのりだ

した男がいる。紀州矢口村の藤兵門という網元であった。

「藤兵門さん。イワシをとっておればカツオの生餌として値は高い。あまれば紀州みかんの肥料に売れる。シビ網などやくたいもない道楽をつづけると、先代からの身上がなくなるぞ」

マグロのすさまじい破壊力を知っている親類縁者は、藤兵門のマグロ網づくりを道楽と

きめつけ、口をそろえて猛反対した。だが不漁のときの悲惨さが身にしみている藤兵門は、

それまでのよわい藁網を麻網にかえたり、志摩から海士をやとって潮流をしらべるなど、骨身をけずるような十五年の歳月をかけて、ついにマグロ網を完成させた。

文化十四年(一八一七)丑十月の記録には、

矢口浦之儀は、同所藤兵衛方鮪網出来いたし、あじろには数日の漁を得、およそ水

あげ三百両余漁高を得云々・・・・・・とある。

紀州から五島に伝えられたのはマグロ網だけではない。大掛りなブリ網をつたえたのも紀州漁民である。沖あいをおよぐ鯨を「網捕り」という捕鯨法でとらえたのも紀州の男たちであった。

いま武平次は目のまえで一網打尽にしたマグロをみて感無量である。

「これだけの大群じゃ。浜で手捕りにせねばシビ網がもたん。浜にむかってまっすぐこぐんじゃ」

すさまじい破壊力をもつマグロの群れが、もし網の一ヶ所に突進してきたら、麻網といえどもひとたまりもない。そのときはウダ棒で脅して群れの方向を変えながら、砂浜においこんで一尾ずつ手捕りにする。

武平次はたくみに船団の指揮をとりながらマグロ網を浜へおいこんでいく。

「いた大シビじゃ! 網をやぶられるまえに手鉤をうちこめ」

力自慢の十蔵が体をかがめて手鉤をうちこんだ。

「大きいぞ気をつけよ」

その瞬間、尾ビレをはねあげた大マグロが、水しぶきをあげて反転した。

「わっ!」

こらえきれず十蔵の巨体がもんどりうって海に転落した。

老人や女たちが見まもる砂浜が近づいてきた。

「よし飛びこめ!」

武平次の合図で男たちは冬の海に飛びこんだ。自分のからだより大きいマグロにしがみつき、血まみれになって砂浜に抱き上げる。

二十貫をこす大物になれば三、四人がかりでもはじきとばされる。

「わしが頭をおさえるから、ぬしゃあ尻尾をつかまえろ」

それは壮絶なマグロと人間とのたたかいだった 波にまかれてころぶもの。マグロの

背びれで傷つくもの だが北西風が吹きすさぶ冬の海の冷たさも、背びれで傷つく痛み

も、マグロの巨体をつかみとる喜びのまえに霧散していく。

やがて半刻(一時間)ほどで、マグロとの凄絶なたたかいはおわった。

浜は横たえられたマグロでうめつくされ、その数はかるく百五十尾をこえた。

「のう武平次さん」

陸で女たちの指図をしていた浦長の惣右衛門が、不安がおで近づいてきた。

「このヤマジが吹きすさぶ冬の海に、どうしても船を出すというのか」

「もちろんじゃ」

武平次は潮焼けした顔を惣右衛門にむけた。

「冬の五島で獲れるものといったらシビしかおらぬ。それを金にかえねば島の暮らしはいつまでもようならぬ」

「それは、そうじゃが・・・・・・」

惣右衛のかおに老人らしい分別がうかんだ。

「だがこれだけのシビがとれれば、塩にして春まで喰いつなげる。わしは浦長としてあんたたちに、海で命をすてるような真似はようすすめん」

「それは寄り合いでなんども話したことじゃ」

・・・・・・武平次は冬マグロをとるかどうかの村の寄り合いが、浦長の惣右衛門の家で何度もひらかれたことを思いだした。

「わしゃそんな大それたことは反対じゃ」

長老の久兵衛が反対の口火をきった。

「他国者の言うことを真にうけてみよ。もししくじったらわしらが飢えるだけでない。女子供を長崎の女郎屋に売らねばならん」

「なにを馬鹿こく」

若衆頭の十蔵が真っ向から反対した。

「クジラとりのときのことをよう考えてみよ。いまのように反対ばかりして、結局は宇久島の衆に先をこされて、ひもじい思いで指をくわえておったのを忘れたのか」

紀州から捕鯨法が五島に伝わったとき、数ヶ村がすぐその漁法をおそわり、クジラを捕獲しはじめた。宇久島の山田茂兵門ひきいるクジラ組は、村をあげて紀州型の快速船をつくり、鯨油を樽につめて売りさばき、はなばなしい成果をあげたことがある。

「この馬鹿もんが。ええときの話ばかりじゃないわい」

久兵衛が十蔵をにらみかえす。

「たしかに宇久島の衆は、クジラのとれたときはうるおったが、宇久の山田のクジラ組は沖まで追いすぎて、七十二人も死人がでた話を知らんはずがなかろうが」

こうした集まりの常として、理屈より感情がまず先立つものだ。

飢えからのがれたい賛成派も、困窮の種子をまきたくない反対派も、具体的な解決法はくとも、たがいの意見をつよく主張して、腹の虫をおさめることがまず肝心だった。

惣右衛門はみなの意見を十分に聞いてから口をひらいた。

「武平次さんははるばる紀州からシビ網をもってきて、わしらに漁のやり方をおしえてくれるという。それはそれで喰い物がなくなる冬にはありがたい話じゃ」

惣右衛門はことばをきって一人々々のかおを見まわした。

「だが問題は冬シビがとれても、売る先がないことじゃ・・・・・・」

村の寄り合いでの堂々めぐりのいきつく先はいつもそこだった。マグロ網は七、八十人の網子がいる大がかりな楯切網だ。費用だけでも莫大なもので、もし村の備蓄金をつぎこんでマグロ網をつくれば、マグロの売り先がなければならない。むろん五島には売り先などなく、肥前長崎や筑前博多にもマグロの大量消費地はなかった。

だが武平次には宗次との秘策があった。

「売り先はある」

自信をもって武平次がいった。

「それはどこじゃ?」

「大坂のザコ場の市じゃ」

「なに大坂じゃと 馬鹿もやすみやすみいえ」

久兵衛が武平次をにらみつけた。「冬のつよいヤマジのなかに船をだせば、あっという間に転覆してたちまち水仏じゃ。もし百歩ゆずって大坂に行けたとしても、それでは日がかかりすぎて生のシビは腐ってしまうわ」

冬の中国大陸から吹きわたってくる強い北西風は、小船などまたたく間に転覆させる。

だが武平次はわかっているという風にうなずくと、

「だからこそこの冬ヤマジをつかう」

「冬ヤマジがどうしたというんじゃ」

「ええかい。この寒中の海ならシビの鮮度は無塩で七日もつ。そしてつよいヤマジを追い風にうけて走れば、瀬戸内をぬけて大坂まで五日でいける」

「な、なんと大坂へ五日じゃと」

信じられないという顔で久兵衛が目をまるくした。

「ただしそのためには速い船がいる。しかも特別に手をくわえた船がな」

「どんな船じゃ?」

「大きな声ではいえぬが、甲板を水密に張らねばならぬ」

「なにっ水密じゃと」

全員がおどろきの目を見ひらいた。それは御法渡やぶりの重罪ではないか。もし船役人にみつかれば大変なことになる。だが武平次はまるで意に介さない。

「ええかい。わしらはいままで徳川の侍どもの手前勝手のために、海で命をさらして生

きてきた。だが夷人船をみてみよ 大船に三本の帆柱をたてて、甲板を水密に張って、

堂々と大海をわたってくるぞ」

武平次はやつれた村人の顔を一人々々みわたした。

「だからわしらが海で生きていくのに、侍どもになんの遠慮がいろうかい。だが心配はいらねえ。甲板が水密かどうか、陸者には見やぶれねえほど腕のたつ船大工がいるから」

武平次の説得に、つらい飢えからのがれたい長老たちはついにおれたのである・・・・・・。

「さあ、ぐずぐずしているひまはない。このヤマジが吹いているうちに、大シビを山とつみこんで船出の用意じゃ」

武平次は波打ち際にある新造船に近づいた。老人たちが複雑な視線で見まもる。

「わしは筑前博多までもいったことがない。いくら武平次さんが船操りがうまいとはいえ、むざむざ冬の海に命をすてにいくようなことはのう・・・・・・」

水洟をすする老人のつぶやきを寒風がふきちぎった。


(三)

「さあ行くぞ」

北西風を真艫(後方)にうけた小船は、冬の海を飛ぶように疾走しはじめた。

「ものすごい速さじゃ」

みるみる五島の島かげが遠ざかり、四方はすさまじい水しぶきだけになった。

船の長さは七間五尺(約十四メーター)。漁師四、五人が乗りこめる小型船で、冬の荒海を航海するにはあまりに小さい。マグロをつみこめば足のふみ場もなくなる。それでも船の中央部に小さな船頭部屋がつくってある。そこは大人がやっと体を横たえられる狭さだが、寒い海上で仮眠をとることはできる。

「まずは夜にそなえて腹ごしらえじゃ」

カシキ役の十蔵が、出刃包丁でマグロをさばきはじめた。十蔵は「貧乏から逃れるためなら唐天竺でもいってやる」と危険を承知で同乗した。なれた手さばきでマグロの腹をさき、脂のつよいトロ身は海に捨てて、赤身を潮水であらって甲板にならべた。

「こりゃうまい」

航海中は生のマグロを喰いつなぐ。ほかに干飯と味噌が船甕に入れられ、船徳利に水、もう一つの大甕には「塩」がはいっている。だがこれだけは絶対に使いたくない。

あわただしい出船の緊張がとけ、船上にほっとした空気がもどってきた。

そのとき甲板の板子の一枚がとつぜん開いた。

「おう宗次さん。船底の様子はどうだった」

顔をのぞかせたのは船大工の宗次だった。

「心配ねえ。これなら波で横倒しになっても、一晩中浮かんでいられる」

宗次は満足気に笑みをうかべた。

「五島の島かげはもう見えねえか」

「もう大丈夫じゃ」

武平次は水平線をふりかえった。寒風ふきすさぶ二月の荒海である。この時期に船役人の小船がのりだしてくる心配などなかった。

「ならばもう一本帆柱を立てるか」

御法渡の二本帆柱を立てるとぐんと速さがました。

大坂までの航海の最初の難関は、玄界灘をかわして下関までの荒海である。大陸からさえぎるもののない玄界灘は、三角波が白く牙をむきだして夜もねむれない。

そのためにはまずたらふく食っておくことだった。夜の玄界灘につっこめば大小便も甲板にたれ流しになる。

冬の澄んだ西の空が赤く燃えて、夕闇が海面をおおいはじめた。

サシコ一枚の三人をつきさすような寒さがおそってきた。

「こりゃ寒い。からだが冷えぬまに油サシコを着よう」

濡れ鼠の三人は、油紙で裏うちしたサシコを一枚重ね着した。

「安全をみて帆を六合まで下げておくか」

大型の北前船でも、夜はあらかじめ小さく縮帆するのが通例だった。

その大きさは満帆を「一升徳利」にみたてて、順々に九合、八合と下げていく。

「よし六合じゃ」

帆柱が二本にわかれているため、縮帆の仕事はらくである。轆轤(滑車)で帆が十分の六ほど下がって、船の安定がぐんとました。

「六合帆にしても、船あしが異常にはやいのは、おされ潮かもしれぬ」

武平次が慎重なかおで船磁石をみた。このあたりは黒潮からわかれた強い海流が、玄界灘から日本海にながれあがっていく。その対馬海流はとおく蝦夷まで達するのである。

「これからは船磁石から目をはなせねえな」

外海にでれば航海の指針は、船磁石のみが方位をしるたのみの綱になる。

しばらくするとトモ座(船尾)から生木のこすれるような音がした。

「なんだあの不気味な音は」

宗次がトモ座から海をのぞきこんだ。

「こりゃまずい。ほっておけば大ごとになった」

予測をうわまわる水圧のために、舵にかかる圧力がつよすぎて、トモ囲いに衝撃をあたえていた。すぐ宗次が修理を開始した。

夜の寒空に三つ星(オリオン座)がすがたをあらわした。白馬のたてがみのような

波涛はますます強まり、船の横揺れははげしさをましている。

玄界灘をまえに男たちはしだいに寡黙になってきた。たとえ水密に仕上げた船といえども玄界灘では木の葉のようなものだ。

「命綱をつけるか」

武平次たちは安全のために命綱をつけた。からだに荒縄を縛りつけただけだが、それでも安心感はつよまる。

三つ星が真上にきたとき事故がおこった。宗次の舵の修理がおわり、武平次が十蔵と舵とりをかわろうとした瞬間、強風で船が大きくかたむいた。

「気をつけよ」

あっと叫ぶ間もなく濡れた甲板を十蔵がころがり落ちた。

「十蔵が落水じゃ!」

すかさずトモ座の宗次が命綱に手をのばした。海水をあびてもがく十蔵を二人がかりで甲板に引き揚げた。十蔵は甲板に両手をついたまま海水を数回吐いた。

「寒いがしばらく我慢せい。こうしておけばあとが楽になる」

震える十蔵を褌一つの裸にして、手拭いでつよくこすり、焼酎をのませて船頭小屋にいれた。そのとき、

「船磁石がない」

武平次は自分の顔色が青ざめるのがわかった。

もし玄界灘ですすむ方向を見あやまれば、つよい潮流にながされて蝦夷地はおろか、プロシアまで流されてしまう。そうなればマグロを運ぶどころか、自分たちが生きのびるために船のマグロを食うことになる。

「まず五つ星をさがすのじゃ」

武平次は心をおちつけて北の夜空を見上げた。

北の空たかくかがやくカシオペアの五つ星が見つかれば、たがいになす角度から北極星がみつけられる。武平次は五感をとぎすませて方向をみた。

「これが子(北)の方角じゃ」

武平次が北の方向をゆびさした。そして右手を直角にして卯(東)をさし示すと、

「わしが卯の方向をさすから、そこへ船のヘサキをむけてくれ」

「よしわかった」

この航海は大坂まで走りきるために、三人はぎりぎりの戦力である。だれか一人が欠ければ他の負担が大きくなり、交替で休みながら体力を維持することができなくなる。

海水をあびた十蔵はしばらく起きあがれないだろう。こんな小船で冬の玄界灘をこえるなど、最初から無理な話なのだ。武平次は小さな星を追いながら、この航海にのりだした後悔が胸にひろがってくるのを覚えた。

「夷人船は逆風にはつよいが、一つだけわしらの船に分がある」

宗次が元気づけるようにいった。

「なんじゃそれは」

「わしらの船は船底が平らだから、波にのりやすく追い風で安定する。だからヤマジを背にうけていれば、かならず下関にいきつける」

いまさら逆風にさからって五島へもどるすべはない。星の位置で方向を知り、下関をめざすしか道はなかった。二人はひたすら夜明けを待ちのぞんで走りつづけた。

やっと夜が白々と明けはなたれた。その日は陸はみえず、行方がわからぬ不安をいだいたまま二人は船をすすめた。ときおり寒さと疲労で意識がとぎれる。

「おい武平次さん。シビ肉を食わんかい」

宗次もこわいのであろう。不安をかくすようにいった。

「おお食わいでか。食っていれば寒さもわすれる」

なんど波浪に舵をとられそうになったかわからない。そのたびに二人で船をたて直し、追い風を背にうけて走りつづけた。いまは下関へつけるかどうかもさだかではない。

二度目の夜がおとずれ、気力で朝をむかえたとき、武平次は体力の限界を感じていた。

「おい宗次さん。あの島かげは筑前宗像の大島ではないか」

甲板でうたた寝していた宗次がはね起きた。

「おおそうじゃ。あれをかわせば下関はもうすぐじゃ」

武平次のからだに安堵感がひろがった。二本帆柱と水密甲板で冬の玄界灘をのりきり、二人は北極星で進行方向をあやまらなかったのである。


(四)

下関をすぎて船は周防灘に入った。このさき瀬戸内海は波しずかだが、潮流がつよく大小の島々がゆく手をはばむ航海は、第二の難関になる。

宗次と舵とりをかわった武平次は船頭小屋をのぞいた。

「どうじゃ十蔵、体のぐあいは」

「すまねえ。こんなことで二人に迷惑をかけてしまって」

十蔵が憔悴した顔をあげた。

「気にするな。ゆっくり休んで早くよくなることじゃ」

いま武平次の心配ごとは、落水した十蔵の体力の消耗だった。海水をのんだせいで熱がでた。もし十蔵の容体がこれより悪くなれば、どこか瀬戸内の湊につけねばならない。

玄界灘のつぎの敵は「時間」であった。このままつよい北西風が吹きつづければ、マグロは無塩でザコ場の市にもちこめる。だが島の入りくんだ瀬戸内海は、島々の地形的な影響をうけやすく風の吹きだまりが多い。

この航海で武平次がもっとも恐れたことは 皮肉なことにさかまく波涛や大うねりで

もなく、船をなぎたおすつよい北西風でもなく それは凪だった。

船の動力は帆をのぞけば二本の艪しかない。それは湊の出入りにしか役立たず、凪にあえば海に孤立してただようしかない。そうなればマグロの腹をさいて、塩をしなければならない。つまり凪に遇うということは、塩マグロが捨値になることを意味する。

そのとき武平次の五感にふれるものがあった。

ふむっ!

長い航海をおえて陸にあがったとき、女の挙措のひとつひとつが、妙に艶やかかに反応する。それは女のいない海で生活をしたという生理的な要因ではなく、潮風が陸の脂をあらいおとすために生じる五感の鋭敏さであった。

その五感が告げた。

「このぶんだとまもなく風がおちてくる」

武平次は甲板の船板をはずして船底の生マグロをみた。寒気のためにいま海から上がったばかりのような鮮度をたもっている。

「市は上方ばかりじゃねえ。目のさきには伊予の三津浜もあるし、播磨の妻鹿にも魚市はたつが・・・・・・これだけの大量の荷を受けいれられるのは、大坂のザコ場の市か、江戸の日本橋川市場しかねえからな」

たとえ冬ガレで無塩ものが底をつく二月とはいえ、瀬戸内海沿岸の小さな魚市場では、これだけ大量のマグロに高値はつけられない。

「そろそろシビの腹を割っておくか」

武平次は出刃包丁を手にマグロを一本とりだした。寒気がマグロの新鮮さをまもってくれる冬期とはいえ、マグロの傷みをおそくするために腹をわり、内臓とエラをとっておく処置が必要だった。

「十蔵に力をつけさせるために、シビの脂身を食わせるか」

武平次がマグロの横腹に包丁をつきたてて、脂ののったトロ身を大きく切りとった。

「にわとりに食わせる脂身を食わせるじゃと」

宗次が露骨に顔をしかめた。

「なにも海にすてる脂身なんぞを食わなくとも、うまい赤身がたんとあるじゃろうが」

「それはそうだが、こんなときだから、薬だとおもえば食えるじゃろう」

武平次はトロ身を手にとって船頭小屋にはいった。

「ほんとにこんなもので力がつくのかね」

十蔵が青ざめた顔できいた。

「わしが北前船にのっていたとき、仲間の一人がそう言っていたから嘘ではない。脂くさくて食いづらいかもしれぬが、体に力はつくはずじゃ」

土佐沖でマグロを釣り上げたカツオ船が悪風にながされて、十六日後に三宅島に漂着したことがある。そのときむりやり脂のトロ身をたべた男は衰弱が少なく、ほかの者が死んでも命をとりとめたと武平次はいった。

恐る恐るほおばった十蔵は、

「うっ」

おもわず顔をしかめた。

「なんという味じゃ。脂くさくて食えたもんじゃねえ」

「味噌をつければ食いやすくなるといっていた」

武平次が味噌甕をとりだし、口をふさいだ油紙をとって味噌をぬった。

「なんとかこれなら喉をとおりそうじゃ」

十蔵はかおをしかめて無理やりトロ身をのみこんだ。

・・・・・・その日はおだやかに暮れて、くろい島かげが不気味に近づいてきた。

武平次の予感どおり風はしだいに弱くなっている。

「船あしがおそい。帆を一升張りにもどそう」

暗闇に帆がたかく一升に張られて、船は速度をとりもどした。夜の瀬戸内海は予期せぬ危険にみちている。

北前船で走りなれた武平次にとっては瀬戸内海はじぶんの庭のようなものだ。陸のつらなり、小高い山。どの遠景も目にやきついており日中なら目をつぶって航海できる。

だが島のみえる昼ならともかく、これから星光だけのくら闇のなかを、一晩中暗礁と急流をさけて走らねばならない。

急に流れが速くなり、船が島にすいよせられた。潮騒がざわざわと不気味にとどろき、危険な早瀬が近づいてきた。

宗次が不安をうかべていった。

「このままでは潮にながされて、暗礁で船底を割られるかもしれん。オミクジを引いてどうするか決めたほうがええ」

迷信ぶかい船乗りたちは、海で危険がせまると、人間いがいの存在のオミクジを頼りに

して、みずからの判断力を放棄してしまう いつ嵐がおさまるか。どの航路をとるか。

帆柱をきり倒して転覆をまぬがれるか などのすべての判断をオミクジを引いて決めた

のである。

だから宗次が不安を消すために、オミクジに頼ろうとしたのは当然である。

「まあ待て」

ながい船乗り生活で夜目のきく武平次は、黙って黒い島の稜線を見上げた。

いま船は島に近づきすぎて、風をさえぎられた遮風域にはいっている。だが島の稜線の低いところをみつければ、そこから風が吹きぬけてくる。

つぎつぎと島があらわれる瀬戸内海では、その吹きおろし風をうけて、一気に島から遠ざかるしかない。そうすれば大小の島々がゆく手をふさごうとも、夜の瀬戸内海を走りきれる。

武平次は船龕燈に火をいれて海を照らした。

「かなり浅いな」

澄みきった海のなかに茶褐色の岩礁が横たわっている。島に近づきすぎれば、座礁する危険はある。だが島をさけて走りきるのは逆に島に近づいて、稜線からの吹きおろす風をさがすしかない。

「早瀬の音じゃ」

宗次の顔がこわばった。

船は不気味な潮騒のとどろく早瀬につれられていく。

「おい舵がきかぬ」

船が早瀬に乗り上げた。

すかさず武平次は暗い海にとびこんだ。身をきるような冷たい海に首までつかり、船を押しもどした。

座礁の衝撃で十蔵が這いでてきた。

「おい十蔵。わしらが船をかたむけるから、おまえは舵でヘサキを沖にむけよ」

十蔵に舵棒をわたした宗次も海にとびこんだ。

「ここで岩にかまれたら海の藻屑じゃ。そうなれば徳川の侍どもに殺されたとおなじことよ。なんとしても大坂にいきつくぞ」

そのとき月光をうかべる海がくろくざわめいた。

「おう風じゃ」

島の稜線をかけおりた風が船を大きく傾がせた。

その傾きを利用して船は早瀬をはなれて進みだした。

「よし。いい具合じゃ」

安心するまもなく島かげはつぎつぎとあらわれる。ふらつく十蔵に船龕燈で海を照らし出させ、武平次は油断なく島かげを見上げて、吹きおろし風をとらえて船をすすめる。

島かげをやっと十二やりすごした。武平次は闇に目をこらしながら、どうしてこんな危険な航海をつづけるか考えていた。

〈これは紀州人の海の血であろう・・・・・・〉

いまの世で命をさらして生きていく稼業が、船乗りのほかにあるまい。侍などは船乗りにくらべれば、半分の意気地もあるはずがない。

だから御法渡やぶりのこの船で、船役人どもの鼻をあかして、冬の海を大坂まで走りきってやらねばならぬ。

〈そうなれば愉快であろう〉

それを考えると武平次のこころに力がわいてくる。

・・・・・・島かげを二十七かぞえたとき、やっと海が白みはじめた。

心配した凪も朝日影とともに風がふいてきて、武平次の胸に希望がわいてきた。

疲労困憊した目で武平次が二人をみた。

「すまぬがすこし眠らせてくれ。これからは島の浅瀬さえ気をつければ、追い風が順調に船あしをのばしてくれる」

夜の瀬戸内海をのりきった疲れがでて、またたく間に武平次は眠りにおちた。


昼の瀬戸内海は順調な航海がつづき、勇敢な船乗りを輩出した塩飽諸島の島々をぬけて播磨灘にのり入れた。

「おう。もう播磨灘にはいったか」

武平次が船頭部屋からあらわれた。熟睡したせいで顔が赭銅色にもどっている。

トロ身を食べた十蔵も体力をとりもどして、船には明るさがもどっていた。

武平次がいった。

「五島からここまで四日でこられたわけじゃ」

予測どおりつよい北西の追い風がふきつづけ、宗次のつくった船の性能はよかった。

そして運にもみはなされず、五島を出帆してから四日目で播磨灘にのりいれた。これだけでも満足すべき航海であろう。

夕暮れの海に、淡路島のつらなりが遠望できる。ほそく長くつらなる淡路島左端の明石海峡をぬければ、ちぬの海(大阪湾)にのり入れる。

「もしわしらが無事に大坂までたどりつけば、宗次さんの船の評判は諸国の水主仲間にひろまる」

武平次が満足そうにいった。

「それならばあの重い塩甕を海にすててくれぬか。船あしはもっとはやくなり、わしの評判はさらに上がることうけあいじゃ」

宗次の冗談に十蔵が笑うと、

「だがこの寒い海を命をかけて走っている酔狂者は、わしらしかおらんじゃろうな」

十蔵の声におちつきがもどっている。

「いまは二月じゃな」

宗次が夕陽に目をほそめた。

「だったら灘には新酒競争の樽廻船の連中がおるはずだ」

「新酒競争とはなんじゃ」

十蔵の顔に興味がうかんだ。

「厳冬仕込みの灘の新酒をつんで、摂津西宮から江戸まではしる千石船競争じゃ」

それは冬の西宮沖から、江戸品川沖にくりひろげられる壮大な海絵巻だった。二月の日の出とともに帆をまきあげた千石船が、灘の新酒を山とつみこんで品川沖をめざす、年一度の千石船競争である。

品川沖に一番で先着した「一番船」の樽酒は、十倍二十倍の祝儀値でひきとられ、ほかにその一年間、どの湊でも荷が最優先につみおろしできる「ぬきしたて」という経済的特権があたえられる。

「西宮をでた新酒番船も、わしらとおなじヤマジの追い風をうけて走るわけじゃが、いままでの一番船は二日で品川沖についておる」

「二日で江戸までいったのか」

十蔵が感心する。

「たったの二日じゃ。それは<寛政の早走り>といって廻航乗りのあこがれよ。船頭の腕もよかったであろうが、やはり千石船も船ぞこが平らで、追い風にめっぽうつよかったからじゃな」

「わしは五島しか知らぬが、上方にはすごい男がいるもんじゃな。はやく大坂の町がみてえ」

なかば目的を達した思いのつよい武平次は、白濁した海面にただよう流木をみつめていた。流木が多いのは明石海峡に近づいた証拠である。よく見るとそれは難破船の船板らしい。船釘の赤茶けた錆がうきでて、朽ちはてた表面をつめたい波があらっている。

「たしかに江戸へ二日でついた幸運な樽廻船もいたが・・・・・・」

宗次が夕陽にまばたきもせずいった。

「一ト月すぎても姿がみえず、二度と湊へもどらない船も多かった」

難破船の木片が船尾をかすめて遠ざかったとき、巨大な流木が波間にあらわれた。

武平次がさけんだ。

「流木じゃ 左にさけよ」

船の側舷をかすめた巨木はあやうく船尾に流れさった。

その直後、すさまじい衝撃音とともに、舵棒をにぎった宗次がはじきとばされた。

「まずいぞ! 流木に舵をやられた」

巨木に舵をふきとばされた船は方向をうしない、宗次が舵座にしがみついている。

もし舵がなければとめどなく漂流するしかない。大坂を目のまえにして武平次は信じられない事故に茫然とした。

「そうじゃ艪があった」

武平次はとびつくように船舷の艪を手にとり、応急の舵にした。

「ううむ」

船尾のログイに艪をさしこみ、腰をおとして力をいれた。

さらに武平次は、膝頭をまげて猫足にばねをつけた。

「応急の舵になるかどうかじゃ」

ながい艪のミキ(先端)が海水をとらえて、蛇行しながらも船は進みだした。

だが一本の艪では不安定きわまりない。

「おい十蔵。わき艪(右側)をもう一本いれよ!」

はじかれたように十蔵が二本目の艪をいれた。

二挺の艪にささえられた船は、ヘサキを北東にむけて進みだした。

「おい宗次さん。まだ舵の安定がよくない」

「どうする?」

「帆柱を一本にしてみてくれねえか」

「よしっ。前帆を一本にしてみよう」

宗次が後帆を一本たおし、船は安定をとりもどした。

「これはええ。これならザコ場の市まで走りきれる」

宗次がうれしそうに一本帆柱を見上げた。

「それに一本帆柱なら、船役人を気にすることもねえ」

二本艪で舵をとる船は、明石海峡の急流にのりいれた。

武平次は艪で舵をとりながら、城のような北前船とちがって、こんな小船で五島列島から冬の航路をひらいた喜びが、少しずつ胸にこみ上げてくるのを感じていた。

しかも不思議なことに夕暮れの海をみていると、いままで抱いていた侍たちへの怒りが消えていることに気がついた。


日暮れとともに船は明石海峡をぬけた。三人は交替で艪の舵をとりながら、夜の海を大坂に船をすすめていく。

大坂のザコ場の市を目のまえにして興奮しているせいか眠気がおそってこない。

樽廻船の出航地で知られる西宮沖にさしかかると、陸に煌々と燃える燈明が見えた。

「おうっ。あれは今津浜の燈明台じゃ。あれをかわせば神崎川河口の海士崎(尼崎)の湊で、ザコ場の市はすぐさきじゃ」

武平次が闇に目をほそめて燈火に両手をあわせた。廻船の船主が航海の無事をいのって一晩中燈火をたやさない燈明台は、海に命をかける船乗りの信仰の対象でもある。

水平線が白みだしたとき、

「見えたぞ。十番水尾木じゃ」

武平次がさけんだ。ザコ場の浜(西区靭)への進入路をしめす水尾木を、沖の十番から九番、八番とたどっていけば確実に浜にゆきつける。浜についた武平次は息つくまもなく天秤棒に大マグロをつるし、宗次とともにザコ場の市めざしてかけだした。


ザコ場の市は巨大な魚河岸である。はこび込まれるのは大坂湾の魚介だけではない。

とおく熊野灘や土佐沖でとれたクジラ肉が、八挺艪の「バンドリ船」という早船ではこびこまれ、鮮度がおちるまえにセリにかけられる。

それは八挺艪の船に二十人の若者が乗りこみ、一挺の長艪に二人がかりで息があがると次々交替しながら、飛ぶような早さでザコ場の市を目ざすのである。

武平次と宗次は、大マグロの重さを天秤棒に感じながらザコ場へいそいだ。十蔵は留守番として船にのこしてある。

魚臭いにおいが朝風にのってきた。ザコ場の市のまわりにうどんや雑炊を酒とともに売る露店が立ちならび、朝から道ばたでにサイコロ賭博の下卑た喧騒がひびいている。

武平次が心配そうに宗次をふり返った。

「どうじゃろう。市に魚はあがっておるかな」

二人は大マグロを天秤棒でゆらしながら市場に入った。

二月の冬ガレの市は閑散としていた。寒気とつよい北西風のために、小船は漁に出られない。近海の小魚と塩をした鰤や鯔が所在なげにおかれている。

「その大シビはどないしたんや」

仲買人の一人が目をみはり、小走りに近づいてきた。

「ほんまもんの無塩シビやないか」

男はマグロの魚体をすばやく観察すると、

「あんさん。どこから来なはった」

「肥前の五島からきました」

「なんやて。肥前の五島からやて」

男は信じられないという顔で武平次をみた。二人のまわりに他の仲買人が殺到した。

「ほんまにあんたら、五島から冬の海を渡ってきたんか」

武平次は仲買人のざわめきをききながら、胸をはって大マグロを天秤棒からおろした。

仲買人の一人が、出刃包丁で尻尾を切りおとして鮮度をみると、

「こりゃほんまもんや。この冬ガレ時期に、無塩もんのシビとは信じられへんわ」

仲買人は無精髭がのびほうだいの武平次と宗次の顔を、信じられないように見た。

「よし買うたで」

いきなり仲買人の一人が素っ頓狂な声を張り上げた。

「まあ待ちいな。それはセリにかけてからの話や」

いまだに半信半疑の仲買頭が仲間を制すると、

「ところであんさん、このシビを五島から何本はこんできたんや」

「百本です」

「な、なんやて。この生シビを百本やて」

仲買頭はとびあがるようにいった。

広いザコ場の市が、男たちのどよめきでゆらめいた。

「で、シビはどこですねん」

急に仲買頭の口調があらたまっている。

「浜の船です」

「ほならすぐ大八車の用意や。こりゃ今日は忙しくなるで」

武平次は早朝の大坂の道を、大八車とともに浜にむかって駆けだした。

息せききって駆ける武平次の胸に、少しずつ喜びがこみ上げてくる。

〈かならずまた来年も来てやる・・・・・・〉

しばらく雨の降らない道は、大八車で土埃が舞い上がる。

ともに駆ける宗次に目をやった武平次は、

「なあ宗次さん・・・・・・」

御法渡船をもう二、三艘造ってくれと言おうとした武平次の目に、土埃がしみたのか朝日をてり返した大粒の泪がきらめき落ちた。

 

[完]

実業之日本社 「週刊小説」平成6年8月号 掲載

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