『幕末いろは丸』

(一)

慶応三年(一八六七)四月十九日。長崎から大阪にむけて出帆したいろは丸は、夜の瀬戸内海を慎重に航海していた。

 

「あれは船の航海燈か」

海援隊士の佐柳高次は闇の海に目をほそめた。 夜の瀬戸内海を航海するいろは丸の蒸気機関が、かるく操舵室を震動させ、帆をたたんだ三本マストが風に鳴る。

月はなかった。とおく島の稜線が黒く夜空をきりわけ、夜目になれた船乗りでないと、海と夜空の区別はつきにくい。

「どうやら島の火のようじゃった」

当直士官の高次はほっと胸をなでおろした。

夜の海で恐いことは二つある。まず島々の暗礁と速瀬だった。遠近感のとりにくい夜の海では、遠くにあるはずの島が急に間近にあらわれて、速瀬にすいよせられてあっというまに座礁する。とくに瀬戸内海はその危険性がたかかった。

もう一つは船と船との行き交いである。右舷に「青燈」、左舷に「赤燈」をかかげて夜間航行をするが、たがいにどの角度で相手を避けるか、当直士官の経験がものをいう。

そのとき高次の背後から、

「いろは丸の位置はどのあたりじゃ」

坂本龍馬の声に、海図から目をあげた高次が、

「ああ坂本さん。いま塩飽諸島にのり入れたところです。これから播磨灘にぬけるまでが瀬戸内海で最大の難所です」

闇の瀬戸内海にうかぶ大小のくろい島々は、目のわるい龍馬には見分けがつかないが、瀬戸内の難所の塩飽諸島に生まれて、夜目もきく船乗りの高次には、暗い航路も手にとるようにわかる。

塩飽漁師の子に生まれて、十七歳のとき樽廻船に乗って江戸にでた高次は、その腕を見込まれて幕府が長崎に設立した「海軍伝習所」に、塩飽水夫二十人とともに雇われて、咸臨丸で太平洋にのりだした船乗りである。龍馬の信頼はあつく、海援隊では士分格で航海長をつとめている。

「いまの速力はどのくらいじゃ?」

「夜間減速して六ノットで航行中です」

「そうか。これから蒸気船がふえてくれば、夜間の航行もふえてくる。そうすれば船の衝突の危険もますが、海援隊に高次のような男がいれば安心じゃ」

九歳のときカシキという飯炊き係で海にでた高次に、しばらくすると船頭が、

「高次はめったにない三毛猫の子じゃ」

と目をほそめた。遺伝子的にめったに生まれない三毛猫の雄は、風や波の異変をつたえる能力があると信じられて、人間より大切にされた。子供ながら高次は三毛猫の雄のよう

に《風と潮流のよみ 》に長けていた。それは船乗りには得がたい能力であった。

龍馬にまけず六尺ちかい大男の高次は、夜の海を見つめたまま、

「わしらの手で蒸気船がうごかせるとは、これまでの苦労をおもうと夢のようです。このいろは丸の航海ではずみをつけて、さらに蒸気船を二隻三隻ともちたいものです」

薩摩藩の銃器と弾薬をつんだいろは丸の航海が成功すれば、海援隊に海の仕事は山ほどはいってくる。そうすれば商船隊をつくって太平洋にのりだすことも夢ではない。

それは高次が龍馬と邂逅してからそだてた大きな海の夢だった。

 

 

二年半まえに神戸操練所が閉鎖され、長崎に居をうつした亀山社中は、船も仕事もなく貧乏をきわめた。薩摩藩の仲介でユニオン号を手に入れたが、持ち主の長州藩と借船の調整がつかず、暇をもてあました隊士が他藩士と喧嘩をしたり、町民からは「亀山の白ばかま」と陰口をたたかれたりして、高次たちの先行きはまっ暗であった。

だが世のうごきは早まっていた。龍馬の手によって薩長同盟が成立し、倒幕にむかって亀山社中の働きは重要になり、慢性的な金銭的苦境にあった亀山社中に、土佐藩が援助の

手をさしのべて《海援隊》が誕生した。

隊長の龍馬は、伊予大洲藩が買い入れた蒸気船が、航海士官がいないために遊んでいるのを知り、すぐさま傭船の話を後藤象二郎にもちこみ、大坂までの一航海を五百両で借り

うけることに成功した。それがこのいろは丸であった。

〈これで本格的な海上交易にのりだせる〉

蒸気船をもてた海援隊の喜びは大きかった。いろは丸の出航の数日前に、後藤象二郎が丸山の花月に海援隊一同をよんで盛大な宴をはり、高次もあびるほどに酒をのんだ。

「おい高次よ。いよいよお前らの腕のみせどころじゃ」

龍馬がうれしそうに高次に徳利をさしだした。……隊長の龍馬は、海援隊に「討幕」や「航海修行」などの五つの目的をもたせて、隊士が得意な分野でうごけるようにした。隊士のほとんどは海援隊を討幕のための海軍組織と考えていたが、漁師あがりの高次は海運貿易にのりだすことが夢であった。船をうごかさねば利は得られず、討幕につながる武器弾薬も買えない。

「これでやっと海に出られます」

高次はうまそうに盃をほした。

「これからは海援隊の時代じゃ。航海長は高次にまかせるから頼むぜよ」

「いろは丸は小さいながら蒸気船です。瀬戸内海の航海ならさわりはないでしょう」

いよいよ海援隊の経済基盤をかためる海上交易にのりだせる。いつにない喜びを顔にうかべた龍馬が、即興の歌をつくって披露した。

《今日をはじめと乗り出す船は けいこ始めのいろは丸》

金も船もなかった亀山社中である。やっと海援隊として自由に船がうごかせる。船は待望の蒸気船である。酒がうまい。土佐拳もでる。どの隊士の顔もあかるかった。

 

 

「霧がでたか」

機関室から腰越次郎があらわれた。越前浪士で機関長をつとめる腰越次郎も、出羽酒田の米を下関廻りで、大坂へはこぶ千石廻船に乗っていた船乗りである。刀を抱いて天下国家を論ずる志士や浪士がいならぶ海援隊のなかで、高次と腰越は異色の隊士といえた。

「月がのぼれば霧ははれるじゃろう」

腰越は当直士官の高次を気づかうようにいった。

「そうねがいたいものじゃ」

船乗り出身の高次と腰越は気があった。とくに二人は龍馬のもっている二つの面 倒

幕にかけて奔走する志士たる龍馬とは別の一面の 欧米列強国と肩をならべて七つの海

をかけまわりたい龍馬の夢に共鳴し、海援隊を世界の商船隊に雄飛させる夢をふくらませていた。

三年まえ神戸海軍操練所で腰越に会ったとき、高次は、

「千石船航法は太平洋ではなんの役にもたたなかった。これからは洋式船の時代じゃ」

と咸臨丸の太平洋航海の経験を話した。

「わしもそう思って蒸気船を勉強するつもりじゃ」

朴訥でがっしりした体つきの腰越は、帆走よりも機関に興味をもっていた。六、七十度になる機関室に、平気で長時間とどまっている。

高次も龍馬も腰越のねばりづよさには一目おいていた。

「どうじゃ汽罐のぐあいは」

機関室の熱気に顔を赭くした腰越に、龍馬がきいた。

「いろは丸の汽罐はまるでおぼこ娘のようです。六十五馬力が心棒に申し分なく伝わってきます。これなら二日後には大坂湾へのり入れられます」

「それはよい」

目をほそめた龍馬は、

「のう高次よ。このいろは丸は三本マストじゃ。明日はわしが新入隊士に、マストのぼりを教えるきに、よろしくたのむぜよ」

高次は黒龍丸のマストの上の龍馬を思い出してにやりと笑った。

 

(二)

高次が龍馬と出会ったのは、咸臨丸でアメリカから帰り、築地の海軍操練所で軍艦黒龍丸に乗っていたときである。北辰一刀流の龍馬は、

「洋夷かぶれの軍艦奉行並勝麟太郎を斬る」

と赤坂の勝屋敷にのりこんだところ、アメリカを見てきた勝の開明思想のとりこになり、

それから勝の弟子と称して勝手に幕府の海軍操練所に入りこみ、軍艦を興味ぶかげに触れまわり、幕府教授方から白眼視されていた。

その龍馬に親切に船のことを教えたのが高次である。それが二人の出会いであった。

それからも龍馬は、軍艦からおりる高次をみると、なにくれとなく話しかけてきた。

「わしは土佐で物知りの絵かきの先生から聞いたのじゃが、亜墨利加では仕立て屋の子でも将軍になれちゅう話は本当かや」

「どうもそのようです」

「では夜になると、女子は両肩をむきだした着物を着るというのも本当か」

「そうです。下半身は釣鐘のようにふくれていました」

「釣鐘のように……か」

咸臨丸の歓迎会のあとで、部屋にひきあげた高次たちの話題は、夷人の女の服装に集中した。日本の袴を大きくふくらませたようなものを下半身につけていたからである。

結局、それはアメリカ人の習慣の一つである夜会服のフープとわかったが、鉄の汽車やミシンのことにも、龍馬は目をかがやかせて聞きいった。

〈一風変わったおさむらいじゃ……〉

さらに二人が親交をふかめたのはマストのぼりであった。

「おい高次よ」

龍馬がまじめな顔でいった。

「わしはこれから軍艦をもつつもりじゃが、忙しい身ゆえに海で経験をつむわけにいかぬ。そこでわしが船で一つだけ覚えるとすれば何をすればよい」

高次は夕空に高くそびえる黒龍丸のマストを見上げると、

「それはマストのぼりでしょう」

「マストのぼり? どうしてじゃ」

高次は咸臨丸の経験を龍馬に話した。長崎でオランダ人から海軍伝習をうけた高次たちは、冬の太平洋に乗りだしたとたんに度肝をぬかれた。海上の実船訓練が不十分だったために、波浪の中でマストのぼりがだれ一人としてできず、指揮をとる士官は船酔いのため船室で死んだようになっていた。船長の勝にいたっては船酔いで体調をくずして、サンフランシスコに着くまで船室から出られない始末であった。

「このままでは遭難する」

さいわい咸臨丸には、嵐で日本に漂着した米国測量船のブルック大佐一行十二人が乗りくんでいた。一目で日本人の未経験を見ぬいたブルック大佐は、通訳のジョン万次郎をくわえた十二人で当直をくみ、波浪のなかでマストにのぼって帆をたたみ、なすすべもない日本人にかわって咸臨丸を航海させた。

「航海の第一歩は、マストのぼりじゃきに」

高次と親しさをましたジョン万次郎は、わかりにくい土佐訛りで話してくれた。土佐に生まれて十五歳で漂流して米国で教育をうけた万次郎は、その後捕鯨船乗りとして太平洋を走りまわった第一級の船乗りであった。

「わしら日本の千石廻船乗りは、天気がわるくなれば日和待ちで船を出さず、帆柱にのぼる習慣がなかったのです。だから万次郎さんからマストのぼりを一から教わりました。どんな波涛のなかでもマストにのぼれれば、それだけで船将がつとまると万次郎さんはいいました」

「そういうことか」

いずれ海にのりだしたい龍馬は、大小刀を甲板におくと縄梯子をのぼりだした。だが第四横桁(最下段)の半分の高さまでのぼると顔が真剣になった。

「もうだめじゃ。一歩も上がれぬ」

「だれでも最初はそんなものです」

高次は半刻(一時間)かかって、真っ蒼な龍馬を横桁に引きずり上げた。

「どうです。帆柱からの眺めは天下一品でしょう」

「そ、そうじゃな……」

横桁のロープにしがみついた龍馬は、顔をひきつらせてうなずいたが、それからも高次についてマストのぼりに挑戦した。一回ごとに高さへの恐怖心を克服して、ついに最上段のロイヤル・ヤードまでのぼれるようになった。

龍馬は一人でも多く海で活躍できる男をふやさねばならないと思っているらしい。揺れるマストの上で恐怖心をおし殺しながら、

「そのうちわしが軍艦をもつきに、そのときはぜひお前も乗ってくれ」

他人がきけば阿呆とおもわれる龍馬の大ぼら話も、高次にはよく理解できた。

〈こんな人が海にのりだせば、日本はおもしろくなるだろう……〉

高次はいつのまにか龍馬の弟分のような気持ちになっていた。

 

 

その高次に大きな転機がおとずれた。龍馬が勝麟太郎とともに元治元年(一八六四)、神戸に海軍塾をつくったからである。

龍馬が高次のたくましい肩をたたきながらいった。

「おい高次よ。お前も神戸にきてくれんかね」

高次のなかで二つの考えが揺れていた。このまま海軍操練所で教授方手伝いとしてとどまれば、いずれは幕府御雇いの航海士官への道がひらけてくる。

諸藩もいま洋式船をもつのが流行している。とくに江戸から遠い田舎の藩の御船手方では、咸臨丸の名がいちばんよく知られていて、〈咸臨丸に乗り組んだ〉というだけで士籍に列せられて船長になれた。

船乗りがいやでサンフランシスコで病死した富蔵のような男もいたが、たいていの塩飽島出身の船乗りは、航海熟練者として諸藩に請われて栄達する道をえらんだ。塩飽島の漁師あがりでは先輩格の元右衛門と辰蔵が、その先鞭をつけて紀州藩御雇いとなった。

だが高次は船乗りに犠牲をしいてきた徳川幕府につよい<わだかまり>をもっていた。

それは家康が徳川家のみが安泰であるように、二百五十年にわたって五百石積み以上の大船の建造をさせず、航海性能を悪くするために帆柱を一本と決めつけ、甲板の水密を許さずタライのような船で船乗りに犠牲をしいてきたからだ。

〈そのために何人の水主(船乗り)が海のもくずと消えたことか……〉

塩飽島の男は倭冠のころには数百艘の船をつらねて東シナ海にこぎだした。

徳川の世になってからも塩飽の航海術は〈他州のおよぶところにあらず〉と第一級

とたたえられた。

だが船体を改良させない徳川の『海の御法度』により、海難は多発した。

高次の祖父も曾祖父も船乗りで、塩飽島に生まれた男は、海で生きるよりほかに道はない。そのために船役人になんども船の改良を申し出たが、徳川の『御法度』をたてに堅固な船の建造は許されなかった。

長崎の海軍伝習にいった高次は、刀をさして威張っているだけの侍たちが、攘夷とか獣だとかいって見下している夷人たちが、塩飽の男たちが千石廻船で海に命をさらしていたときに、すでに水密の甲板をもった巨大な黒船をつくり、マストは三本にわけて縦帆を張り、しかも逆風は蒸気船で走っているのを知った。

〈獣とはわしらのことではないか〉

高次の疑問は咸臨丸で太平洋に乗りだしたときはっきりした。嵐のなかで羅針盤をみて舵をとり船を進めるのはアメリカ人船乗りとジョン万次郎で、徳川の侍と士官は船室にとじこもり火鉢をだいて出てこない。

侍のことはよく分からない高次は、その実情を龍馬に話したことがある。

「だから徳川の世を変えねばならん」

いつになく龍馬がまじめにいった。

「そのためには海軍をつくり商船隊をもって、お前のような男が活躍できる世にせねばならん」

「どのようにするのですか」

「勝先生のいわれる大開国じゃ」

「大開国」とは、外国を知らない一方的な壌夷ではなく、徳川幕府のことだけを考えた手前勝手な開国でもなく、幕藩体制をこえた日本の海軍をつくり、商船隊が外国と交易して力をつけたその財力で、諸外国と対等につきあうのが「大開国」だと龍馬はいった。

太平洋をわたった経験から、高次はジョン万次郎とブルック大佐を尊敬していた。日本の侍とちがって、海では上にたつ者ほど困難な仕事をこなしている。まるで侍らしくない龍馬のマストのぼりを見るかぎり、いままで会った侍のなかで龍馬だけが、万次郎やブルック大佐とおなじ種類の人間のにおいがする。

高次は船乗りらしく徳川の世を変えたいと思っている。そのためには龍馬と行動をするのが最良の道にも思える。

「わしは坂本さんの海の夢にかけます」

「おおそうか」

龍馬がうれしそうにいった。

「はやく徳川の世をおわらせて、わしらの手で自由に世界の海にのりだしましょう」

二度にわたる長崎の海軍伝習をおえて、太平洋も横断した高次が、幕府操練所の安定した待遇をなげうって、脱藩浪人にすぎない龍馬と行動を共にするという。

感激した龍馬は、

「お前は船乗りで知られた塩飽佐柳島の生まれじゃ。これからは佐柳高次と名のるがよかろう」

故郷の「佐柳」という姓をつけてくれた。高次が龍馬とともに海にのりだす決心をかためた一瞬であった。

 

(三)

瀬戸内海の闇にいろは丸の蒸気機関が力づよくひびいている。

高次の乗っていた江戸行きの樽廻船は、西宮で酒樽をつんで出帆して紀州潮岬をまわれば、あとは見わたすかぎりの海だけで、悪風が吹かないかぎり途中の湊に入らず、<沖走り航法>で一路江戸を目ざしたものである。

腰越の乗っていた北前廻船は、瀬戸内海に入れば夜の航海はできなかった。それを<地走り航法>といって、船頭が朝はやく日和をみて船を出し、夕方は明るいうちにつぎの湊に入れる。安全だが日数をくう航法だった。

だが蒸気船の出現によって、多島水域の航法はがらりと変わり、夜も羅針盤と海図をみて航海ができるようになった。

「こうして海も蒸気船の世になり、夜の瀬戸内海も安全に航海できるようになった。その一つをみるだけでも、はやく徳川の世を終わらせねばならぬなあ」

夜の海をいく感興からか、龍馬がいつになく感傷的である。

「わしら侍も死にいそぐ者も多いが、海でも陸でも必死に生きながらえて、ことにあたらねばならぬものよ」

〈必死に生きることか〉

高次の胸にワイル・ウエフ号の苦い思い出がよみがえった。それは海援隊の同志十二人を失った「沈没事故」だった。

船のない亀山社中に薩摩藩が出資して、三本マストの風帆船を購入してくれた。

「あれがわしらのワイル・ウエフ号じゃ」

機関はないが亀山社中の者はよろこんだ。船さえあれば暮らしがたつ。船将をつとめる池内蔵太は、

「これからは船をあやつれねば幕府とたたかえぬ。わしは航海未熟ゆえ、このたびの船将はわしにまかせよ」

土佐出身の池内蔵太は、筋金入りの勤王志士として幾度も死地でたたかい、そのつど命をながらえてきた勇者である。航海士官に黒木小太郎と佐柳高次。ほかに水夫十二名が乗りこんだ。

「まずは命名式に鹿児島行きじゃ。坂本さんが首をながくして待っちょるし、薩摩人にもワイル・ウエフ号を見せてやらねばならん」

寺田屋で刺客におそわれて負傷した龍馬は、鹿児島で傷養生にはげんでいる。

高次は日和が気になった。雲のながれが早く、高次の日和見は出航をのばせと警告したが、長州藩の蒸気船ユニオン号がワイル・ウエフ号を曳航して出港した。

波静かな海が夕方から荒れてきた。先行するユニオン号は、汽罐が真っ赤になるまで石炭を焚きつづけたが、二隻は大うねりではげしく縦揺れし、夜になると暴風雨になった。

一晩中困難な曳航をつづけたユニオン号から、早朝に発火信号が上がった。

衝突ヲ回避スルタメ、ロープヲ切ル。

ロ―プをたち切ったワイル・ウエフ号は大きく傾き、五島列島に吹き流されていく。

「どうしたらよい」

船将の池内蔵太はなすすべもなかった。

「ジブセイル(三角帆)を上げることです」

荒天時は小さな三角帆を上げて、舵を効かすのが常法だった。覚悟をきめた高次がマストにのぼろうと縄梯子に両手をかけた瞬間、船が大波で横倒しになった。

「あっ!」

水夫の浅吉が甲板にたたき落とされて波浪にのみこまれた。

帆をあげることをあきらめた高次は士官室にかけこんだ。

「転覆をまぬがれるためには、帆柱を切り倒すしか方法はありません」

池内蔵太は大刀を抱きかかえたまま、

「いや。こうなった責任は船将のわしにある。はやくみなで短艇をおろして逃げよ。わしは船と最後をともにする」

「いいや池さん。船さえ浮いていれば命だけは助かる。そのあと船板で陸まで泳ぎきればよい。船乗りが海で死んではどうにもならぬ」

「いうな。わしは侍じゃ。死に際がかんじんじゃ」

そういう間にも波浪はつよまり、船は立っていられないほど大きく傾く。

これが侍の限界かもしれぬと思った高次は、士官室をとびだした。

すでに短艇をおろすことは不可能だった。船の沈没にまきこまれぬために、高次は水夫に船板を一枚ずつ抱かせて、うねりの山めがけて飛びこませた。

「死ぬなよ」

高次も時化の海にとびこんだ。翌朝十二人の同志が水死し、水夫の市太郎と三平、そして高次の三名のみが助かった海難事故で、同志と船を失った高次の落胆は大きかった。

日和をみて高次が強引に出港を止めれば防げた海難である。侍の池内蔵太への遠慮からひきおこされた事故であると思うと、高次の体をとりかえしのつかぬ悔恨がおそう。

〈これからは海援隊のためにも、船をうごかすときは、海を知った自分がすべての責任をもたねばならぬ〉

内心につぶやいた高次は龍馬をみた。無心に夜の海に目をほそめている。

龍馬も寺田屋の死地をくぐりぬけて感無量なのであろう。刺客のいない船上は龍馬にとって極楽であり、うごく城といえるのであろう。

そのとき闇をついて甲板に力づよい蒸気機関の震動がつたわってきた。

「なに坂本さん。このいろは丸は蒸気船です。嵐がきても大丈夫です」

高次は声にだしてつぶやいた。

 

 

しばらくすると霧はうすらいだ。月が上がるまえの夜空は仄白さをましている。

出港いらいほとんど眠っていない龍馬が船室にひきあげた。龍馬は昼は甲板を何十回と歩きまわり、マストの帆の張りぐあいを見上げたり、船べりを楽しそうに叩いてみたり、夜は操舵室にきて時をすごすことが多かった。

「坂本さんも嬉しいのじゃろう。ひまがあれば機関室をのぞきにくる。あれでは眠るまもなくなる」

腰越が苦笑しながらいった。

「それだけいろは丸に賭けるものが大きいのじゃろう。いままでわしらは船がなくて苦労したが、坂本さんは陸でも大忙しじゃった。少しでも早く大阪に着けて、またつぎの航海にそなえねばならん」

「船名をもののはじめのいろは丸と名づけたくらいじゃ。海援隊のこれからをうらなう大切な航海になる。そのぶんわしらが気張らねばならぬ」

高次も腰越も瀬戸内海に入ってからは、島の多い航路が心配でろくに眠っていない。

だが海援隊の資金源になるいろは丸のこの初航海に、二人は気持ちが高ぶって大阪まで眠らずに行くつもりであった。

「高次の生まれた佐柳島はもうすぐじゃな」

腰越が暗闇に目をこらした。

「ああ。あの三崎の瀬をすぎれば、ほどなく佐柳島じゃ」

塩飽諸島の多島水域は、高次が生まれ育った水域である。それだけに島々の瀬を流れる危険な潮流は身にしみてわかっていた。

潮の香が濃くなり、潮流の反転がはじまった。

「念のために航海燈をみてくる。金兵衛。東の一点南から舵をそらすな」

このいろは丸には塩飽島出身の操舵手の金兵衛、水夫小頭の梅吉がのりくんでいる。二人とも海で生きるために生まれてきた男で、それぞれのつとめを見事にはたしている。

高次はワイル・ウエフ号で助かった三名のひとり 船頭の市太郎をつれて甲板にでる

と航海燈を確認した。両舷の「赤燈」と「青燈」ともに異常はない。

小さくゆれるマストの白燈を見上げながら、大海原で船と船が衝突する可能性はとても

小さいとおもった。とくに小型船は間近になって避けられる。高次が恐れるのは島であり、

海中で牙をむく暗礁と速瀬であった。

「霧がはれたな」

高次がいった。

「もうまもなく月の出じゃ」

初老で温厚な市太郎が夜空をあおいだ。

「なんじゃあれは? 島の火かのう」

市太郎が小首をかしげた。右舷にほのかな灯火がみえる。

「この航路上に島はないはずじゃが」

島があるとすれば、左舷の十一時方向に備後六島があるが、こんなに近いはずがない。

「どうやら小船の篝火のようじゃった」

市太郎がほっとしたようにいった。

「いまは鳥賊釣りの時期じゃから、気をつけねば小船に当てるかもしれぬ」

海面ひくく小波にゆれる灯火は、後方に遠ざかっていった。

ふたたび闇に燈火がみえた。燈火に揺れはなく、かなりの速度で近づいてくる。

「船の燈か」

高次は緊張して闇に目をむいた。漁火よりもその位置が、海面からたかいように思える。

「あれは航海燈じゃ」

闇に右舷をしめす緑の航海燈がみえた。相手船は右側にいる。まちがいなく船が右側から急接近してくる。

〈どうする〉

正面からの行き交いならば右に避けねばならないが、相手は右舷二時方向から近づいてくる。

みるまに闇に巨大なくろい船腹がうかびあがってくる。とてつもなく巨きい。

一瞬の判断が高次にもとめられた。

「汽笛を鳴らして左に避けよ!」

操舵室の金兵衛が舵を左に切った。

だが左に転回中のいろは丸に襲いかかるように、巨大な船影も右旋回した。

「どうしたというんじゃ」

高次の背中を冷水のような衝撃がはしった。船の舵はすぐには効かない。

いろは丸は巨船の船首に、横腹をさらすような危険なT字の形になった。

高次は鳥肌たてて甲板に立ちすくんだ。いろは丸が反転しようにも二隻は接近しすぎている。

またたく間に巨大な影が近づき、視界を黒く塞いだ。

すさまじい衝撃音がなりひびき、相手の船首がいろは丸にのし上がった。

衝撃でマストが曲がって吹きとび、裂けた甲板に海水がなだれこんだ。

〈まさかこんなことが〉

あまりの出来事に、高次は肝をつぶされたように甲板で茫然自失した。

そのとき操舵室から腰越と梅吉がとびだしてきた。

「なんということじゃ! とにかく乗りうつれ」

激突してきた船はいろは丸の五倍ほどもある。腰越が相手船に錨綱を投げとばし、高次たちは海賊のように綱をよじ登った。

こうする間にもいろは丸の船腹に海水がうちこみ、船首が沈みだした。

「梅吉、風をみておけ」

高次の声に梅吉が指先を口にふくんだ。梅吉が指をなめて宙にかざしたのは、風の方向をみるためである。

「われらが風下じゃ」

これは廻船乗りの「廻船式目」の作法により、船が衝突したときは「風上」の船に非があり、沈められた風下の船は、これを証明すればうごかぬ証拠になる。

〈だが船が沈んではどうにもならぬ〉

甲板には十人ほどのうろたえた水夫の姿があった。

「これはどこの船じゃ」

高次が大声で誰何した。水夫たちは混乱するばかりで要領をえない。

「当直士官はおらんのか」

甲板にひとりの士官の姿もなく、船長も船室で眠りこけている様子である。

〈こんな船にいろは丸を沈められてなるものか〉

高次の胸につよい怒りがこみ上げてきた。こともあろうに瀬戸内海でもっとも危険な塩飽諸島を夜間航行する大型蒸気船が、指揮をとる当直士官もおかず平気で無謀な航行をするとは。

「おい高次よ」

ふりむくと龍馬が甲板にかけ上がってきた。

「士官室で航海日誌をおさえよ」

「承知」

操舵室にとびこんだ高次はあっと立ちすくんだ。

「お前さまは元右衛門」

相手船の操舵手も驚きの目をみひらいて、

「ぬしゃ常三郎か」

と高次の幼名を口にした。

おなじ塩飽島出身の漁師で、紀州藩御雇いになった元右衛門であった。だが事故をおこせば旧情など考えてはいられない。

「これは紀州の蒸気船か」

「紀州徳川家の明光丸じゃ。藩命によって長崎へむかう急ぎの航海じゃ」

元右衛門の口調に権威調がにじんでいる。

「塩飽衆ともあろう海の手だれが、この舵のきり方は一体どうしたというんじゃ」

高次の声が怒りをおびた。

「わしは定法どおり右へさけたまでのこと。わるいのはぬしらじゃ」

「なにをいう。船をぶち当てておいて、それが塩飽水主衆のいうことか」

元右衛門がだまった。

「いまは何をおいても、いろは丸を沈めぬことが先決じゃ」

高次は航海日誌を懐にねじこむと、甲板にとびだした。そのとき月がのぼった。

五十間ほど後進していた相手船が、ふたたびいろは丸にむかって急前進をかけた。

「なにをする気じゃ元右衛門 わしらの船を沈める気か」

あろうことか明光丸が、再度いろは丸の船尾にのし上げた。操舵手の元右衛門の気が動転しているのだ。

操舵室にかけこもうとしたとき、甲板で龍馬といいあう士官がみえた。

「船将はおぬしか」

怒りをふくんだ龍馬の声がながれた。

「そ、そうじゃ。わしが船長の高柳楠之助じゃ」

まわりを相手船士官がとりまいている。みな寝込みの事故におどろいて飛び起きたばかりの様子である。

「坂本さん。これが航海日誌です」

高次は龍馬に航海日誌を手わたした。その夜当直士官が甲板にいなかった証拠になる。

高次は大きな体で威圧するように船将をふり向くと、

「いろは丸が沈まぬために、すぐ太綱をかけさせよ」

「太綱はならん」

航海日誌に狼狽した高柳船長が、烏の鳴くような声で拒絶した。

「なぜじゃ」

高次はつめよった。船さえ浮いていれば何とかなる。

「太綱でつなげば、共沈みになるからそれはできぬ」

「なにをいう。この馬鹿ものが」

高次はカンテラをうばいとりくらい海を照らした。小波をうかべた海面に、いろは丸が浸水をはじめており、甲板に海水がうちかかっている。

「梅吉。太綱をうつぞ」

高次はかまわず太いロ―プを投げとばした。梅吉がとびうつりロ―プを杭にむすんだ。だがいろは丸の浸水ははげしく、ワイル・ウエフ号のロ―プを断ち切ったときのように、瀕死のいろは丸をもう救うことはできないことは明白だった。

夜の瀬戸内海にいろは丸が沈みはじめた。

「もうだめじゃ」

高次は心を鬼にしてロ―プを断ち切った。

日本初の海難事故はこうして一瞬におこり、またたく間に傷ついたいろは丸は、蒼黒い海に船体を消した。

一度ならず二度までも、高次の夢が海についえたのである。

 

 

「坂本さん。わしら二人をいますぐ脱隊させて下さい」

高次が大刀をにぎりしめていった。

「脱隊してどうする」

おとなしい腰越までが唇をかみしめて顔を青ざめさせている。

「むろん斬り込みます」

事件の処理は備後の鞘港にうつされていた。だが紀州藩は、徳川の御三家意識をふりかざして高圧的な態度にでて、いろは丸を土佐藩そのものではなく、あぶれ者の脱藩浪人とみて、交渉を見舞い金で片づけようとしている。

高次は、紀州藩の大藩意識をふりかざした強圧的なその態度よりも、船を沈めたその大事さを思わずに、藩命で長崎へ急ごうとする船将への怒りに体をふるわせた。

「わしら二人が斬り込めば、紀州の連中もすこしは海の男の意地というものが身にしみるでしょう」

「まあ待て」

龍馬は高次のことばを制すると、

「わしら海援隊の望みは世界の海にでることじゃ。そのためにはお前らが死んではいかんぜよ。それに紀州藩からはたんまり賠償金をとる算段をすることこそ肝心じゃ。いましばらくお前らの命をわしにあずけよ」

 

……同年十一月。いろは丸の補償金七万両をのこしたまま龍馬は天にかえった。

いろは丸沈没事件の解決は、万国公法をもちだした龍馬の手腕により、相手紀州藩の敗

訴におわったが、龍馬のいない海援隊と、七万両の補償金は、高次にとって意味は少ない。

そして海援隊は解散した。

 

[完]

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